ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ため息よりも柔らかく・・・ 

 

セルゲイ・レメシェフと共にボリショイの黄金時代を築き支えてきた歌手がイワン・コズロフスキー。二人ともリリカルな声質のテノールだと思う。

一般的に、テノール歌手に限らずだが、オペラ歌手というイメージに、声を張り上げるというか、血管が浮き出る程の熱唱みたいなものがありはしないか?楽々と温泉のように湧き出るというよりは、顔を真っ赤にして頑張って絞り出す・・・みたいな?一時流行った「千の風がどうのこうの(?)」という歌を歌ったテノール歌手のような声というか。ちなみに、僕はこの歌手はテノールの声には聴こえなかったりする。ハイバリトンみたいに感じる。まぁ、それはいい。とにかく、どこか「頑張ってます」みたいな力感を感じる。

もしかして、頑張らない湧き出る温泉のような声の出し方が本当で、それが世界の主流だとしたら?

声楽だけではなく、ピアノも似たようなことを実は感じる。とにかく一生懸命な力感を感じる音の人が多いように思える。もしかしたら、ピアノだって鍵盤をギュウギュウ押し込まなくても、温泉のように次々湧き出るようなサウンドのほうが美しいのでは?往年の巨匠の演奏には、「いかにも楽々」というものを感じる。タッチ・・・なのだろうか?

基本的に鍵盤の底まで弾きすぎていないだろうか?中には「鍵盤の底までしっかりと弾きましょう」なんて指導をしている教師だっているのでは?考えてみればおかしな話だ。鍵盤の底に辿り着く前に音が鳴る瞬間、弦がハンマーを打つ瞬間、それは微妙な感覚のところなのだと思うが、この地点、ポイントを過ぎても入魂している人が多いように感じる。さっさと次の準備をすればいいのに。その方が弾く方だって楽だろうに・・・

さすがにプロの演奏では「ただ弾いています」という演奏はないだろうが、完全に鑑賞者、愛好家として感じる多くの日本人ピアニストの音は、「音色がどこも似ている」という印象を持ってしまう。弾きすぎているので、コントロールが不足気味という感じに聴こえてしまうのだ。微妙な「ここで!!!」というポイントを、ストン・・・というかあっけらかんと素通りしてしまうような独特の音・・・

音色に微妙なる陰影に欠け、サウンドとして奥行に欠けるというか、平面的になると、どうしても曲の形式とか、構成とか、そのような外側部分、知識部分、お勉強部分が強調されてしまうのではないか?なので「外壁攻め」のような演奏に聴こえてしまう。なぜその人がその曲を弾いているのかという部分が見えない。曲と演奏者に距離感を感じる。簡単に言ってしまえば、演奏者の内面からの「気」みたいなものが伝わってこないのだ。

進行中のアマチュアの場合だと、ポイントをあっけらかんと弾きすぎてしまうタッチで弾くと、「音符の数に比例して音量も増してしまう」という現象が起こりがちだ。「なんでただ弾いているだけみたいな棒のような弾き方になってしまうのかしら、抑揚に欠けてしまうのかしら」と悩んでいる人は、「難所で自覚のない音量増大現象」が起こっていないかチェックしてみるといいかもしれない。大概、頑張りすぎなのではないだろうか?

ピアノの場合、音をコントロールできるポイントを超えてまで入魂し、鍵盤底まで弾いてしまう必要はないのでは?鳴ったら何もしない・・・みたいな?

感情を込めようとしてギュウギュウと鍵盤に入魂してしまうのか、そもそもの奏法としての癖なのか、それとも「そのように習ったから」なのか?

頑張って一生懸命に鍵盤の底まで入魂・・・ではなく、湧き出る温泉奏法を意識してみたらどうだろう?

入魂しながら恍惚表情で天を見あげながら鍵盤の底まで弾き切る・・・ではなく、楽々とピアノの音を空気に乗せて・・・

鍵盤の底という下方向ではなく、空間に乗せてしまう、放り投げてしまうみたいな上方向。顔を紅潮させて声を張り上げる・・・ではなく、このコズロフスキーのように、楽々と、自然と、ため息よりも柔らかく、ささやきよりも軽く・・・

サウンドは空間に放り投げる・・・頑張らないで・・・

kaz




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