ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

タッチしてきたものを発散すればいい 

 

「季節も春めいてきました。そう、パイを焼きましょう。ピーチパイにしましょう。お紅茶はアンティークの器で楽しみましょう。音楽はモーツァルトにしましょう。そう、私は素敵な奥様・・・」

いつもピーチパイのような人生も素敵だろうが、普通はそうはいかない。何かしら人生には起こるものだ。何があっても、どんなに感情が動いてしまったとしても、泣きながらスーパーで買い物をするわけにもいかないので、そのような思いを人はしまいこんで生きているものだ。

作曲者、たとえばモーツァルトは「素敵な奥様」のような人生を送り、ピーチパイのような人物だったのだろうか?幸せで天真爛漫で、彼の音楽のように純粋で・・・

モーツァルトのベーズレ書簡集などを読むと、正直びっくりしてしまう。「こんな奴だったのか?」と。素敵なピーチパイの奥様・・・という幸せ感とは真逆というか?モーツァルトはスカトロジー趣味があったのだろうか?「君をうんちで汚したい・・・」とか、とてもこのブログには書けないような内容だ。モーツァルトは相当変わった人だったのかもしれないし、少なくとも当時の基準からすれば(今でも?)「あの人・・・変わってるわね」と言われるような人だったのでは?かなり不安定で、どちらかと言えばマイノリティーに属するような変わった人・・・

このブログでも以前に紹介したドキュメンタリーなのだが、ある日本人青年がオランダに渡り、オランダ人男性と結婚するというもの。自分がゲイであることに悩み、偽ることに疑問を持ち、「ありのままの自分」を周囲に話してしまった。その青年から肉親以外のすべての人が離れていった。迫害すら受けた。オランダではすべてが違った。結婚式は袴。周囲のオランダ人は袴姿の男性カップルに「素敵ね・・・」

披露宴では日本人青年の母親がピアノを弾いた。ブラームスの小品。プロのような、あるいはコンクールに入賞するような流麗な演奏ではない。でもその演奏は青年の心にタッチしてきた。その青年はブラームスを聴きながら涙が止まらない。心の中にため込んできたもの、そこにタッチしてきたのだ。感情を揺さぶったのだ。音楽にはこのような力がある。無力な自分がオランダという異国に渡ってまで、自分に正直に生きたかった、普通に幸せになりたかった、その思い、異性愛のカップルでは当たり前のようにできることでも、自分たちには相当の覚悟と犠牲と勇気を必要とする。同じ人間なのに・・・と。その思いが青年の中で交差したのではあるまいか?ブラームスという人物も「素敵なピーチパイ奥様」とは正反対の、悩みぬいた人生を送り、不安定な、少しのことでも動揺するような人物だったのでは?だからブラームスと青年の感情とが反応し合ったのでは・・・

作曲者も心の中に秘めた感情をしまいこんでいた、演奏者も同じだろう。そして聴き手も同じなのだ。「素敵な奥様」的な人なんていないのだ。心の中がいつもピーチパイの香りに満ちているなんていう人はいないのだ。心の傷・・・とも言える部分に音楽はタッチしてくるのだ。だからピアノを弾かずにはいられないのだ。

感情をすべて発散する、これは簡単なようで、非常に難しい行為だ。抱え込んでいるものを、すべて吐き出すという行為は勇気を必要とする。受けとめてくれるという絶対の信頼を持てる人にだけしか、すべてをさらけ出すことはできないから。この動画(映画)のワンシーンのように・・・

メカニックは必要、テクニックも必要、曲を知ることも必要、でもタッチしてこなければ、なにを出せばいいというのだろう?心に何もタッチしてこないのならば、ピアノなんて弾いていない。独り言のようなピアノでも楽しい。でもメカニックとテクニックを介せば、発散することができる。聴いている人の感情にタッチすることができる・・・

kaz




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