色眼鏡
バーブラ・ストライサンドの監督映画、「サウスキャロライナ~愛と追憶の彼方」、この映画の原題は「漂流の王者」という感じだろうか?全く日本的な邦題をつけられてしまった感じが個人的にはするが、この映画の見所は、やはり主演のバーブラとニック・ノルティの演技なのではないだろうか?バーブラは監督、主演、制作、脚本をこなしているので、そのような意味でもバーブラファンにとっては興味深い映画だ。この映画にはバーブラの実の息子、ジェイソン・グールドも俳優として出演している。役柄も息子役。
母親がバーブラ・ストライサンド、ジェイソンにとってはプレッシャーだったのではないかと想像したりする。映画ではバーナードという甘やかされた金持ち息子を好演している。
「別に・・・」「さあね・・・」
無感動、無関心な息子、彼はヴァイオリンを習っているのだが、「○○先生のレッスンでしょ?」「・・・あんな奴・・・」みたいな感じで母親(バーブラ)は困り果ててしまっている。そこでトム(ニック・ノルティ)に頼むのだ。「あの子を鍛え直して欲しいの」と。トムはバーナードにフットボールを教える。
「僕の意思じゃないから・・・」と最初はバーナードはやる気をみせない。「母さんの気をひきたいんだろ?だから僕に関わるんだろ?」「君が失礼で最低の奴でも俺の責任じゃない。でも俺は君のコーチだ。コーチとして接することができないのなら、君との関係もこれまでだ。君の選択だ。俺のじゃない・・・」ここでバーナードはトムは初めて自分を一人の大人の人間として接してくれた他人だと悟る。そして今まで自分は孤独だったこと、寂しさの反動で生意気な態度をとっていたことを打ち明ける。フットボールを通じ、二人の間に絆ができていく。
この映画の中で個人的に印象深いシーンがある。ストーリー展開ということであれば、重要なシーンではないのかもしれないが、妙に好きなシーン。トムはバーナードに「君のヴァイオリンを聴かせてくれよ?」「えっ、ここで?なんだかヴァイオリンで小銭を稼ぐみたいだな」「いいじゃないか・・・」
トムはこの時点で、バーナードを甘やかされた金持ち坊やと思っている。ヴァイオリンなどという習い事も金持ち息子の道楽だろう・・・という先入観がある。
このシーンでバーナードのヴァイオリンを聴くトムの表情が好きだ。痛快というか・・・
人間は時にその人の学歴などで物事を判断してしまうことがないだろうか?たとえば地方の音大を卒業した人に対し、世間でのその学校の評価みたいなものを、そのまま当てはめてしまう。聴きもせずに。「あっ、芸大じゃないの!」「桐朋じゃないの?」みたいな?
結構、悔しい思いをしている人も多いんじゃないかな?
「フ・・・たかがアマチュアの分際で・・・」みたいなことを僕も言われたりするので、この気持ちはなんとなく理解できる。なので、このシーンは物凄く痛快に感じる。
細かなことにも手を抜かないバーブラ監督、この映画でのヴァイオリンの演奏シーン、実際に演奏しているのはピンカス・ズーカーマンを起用している。二人はユダヤ人としての友人同士みたいだ。
この駅でのシーンの演奏、ズーカーマンによれば、「学生っぽく演奏するのに非常に苦労した」らしい。
このシーンは痛快だ。
kaz

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母親がバーブラ・ストライサンド、ジェイソンにとってはプレッシャーだったのではないかと想像したりする。映画ではバーナードという甘やかされた金持ち息子を好演している。
「別に・・・」「さあね・・・」
無感動、無関心な息子、彼はヴァイオリンを習っているのだが、「○○先生のレッスンでしょ?」「・・・あんな奴・・・」みたいな感じで母親(バーブラ)は困り果ててしまっている。そこでトム(ニック・ノルティ)に頼むのだ。「あの子を鍛え直して欲しいの」と。トムはバーナードにフットボールを教える。
「僕の意思じゃないから・・・」と最初はバーナードはやる気をみせない。「母さんの気をひきたいんだろ?だから僕に関わるんだろ?」「君が失礼で最低の奴でも俺の責任じゃない。でも俺は君のコーチだ。コーチとして接することができないのなら、君との関係もこれまでだ。君の選択だ。俺のじゃない・・・」ここでバーナードはトムは初めて自分を一人の大人の人間として接してくれた他人だと悟る。そして今まで自分は孤独だったこと、寂しさの反動で生意気な態度をとっていたことを打ち明ける。フットボールを通じ、二人の間に絆ができていく。
この映画の中で個人的に印象深いシーンがある。ストーリー展開ということであれば、重要なシーンではないのかもしれないが、妙に好きなシーン。トムはバーナードに「君のヴァイオリンを聴かせてくれよ?」「えっ、ここで?なんだかヴァイオリンで小銭を稼ぐみたいだな」「いいじゃないか・・・」
トムはこの時点で、バーナードを甘やかされた金持ち坊やと思っている。ヴァイオリンなどという習い事も金持ち息子の道楽だろう・・・という先入観がある。
このシーンでバーナードのヴァイオリンを聴くトムの表情が好きだ。痛快というか・・・
人間は時にその人の学歴などで物事を判断してしまうことがないだろうか?たとえば地方の音大を卒業した人に対し、世間でのその学校の評価みたいなものを、そのまま当てはめてしまう。聴きもせずに。「あっ、芸大じゃないの!」「桐朋じゃないの?」みたいな?
結構、悔しい思いをしている人も多いんじゃないかな?
「フ・・・たかがアマチュアの分際で・・・」みたいなことを僕も言われたりするので、この気持ちはなんとなく理解できる。なので、このシーンは物凄く痛快に感じる。
細かなことにも手を抜かないバーブラ監督、この映画でのヴァイオリンの演奏シーン、実際に演奏しているのはピンカス・ズーカーマンを起用している。二人はユダヤ人としての友人同士みたいだ。
この駅でのシーンの演奏、ズーカーマンによれば、「学生っぽく演奏するのに非常に苦労した」らしい。
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