ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

有限 

 

以前クラウディオ・ビルラのことを書いた。ある日本人男性が自らの命を断とうと決心した。借金問題につぶされてしまったんだね。北陸の人だったから東尋坊まで行き、断崖から海に飛び込もうとした。日本海の荒波を見つめ、自分の惨めな人生を見つめ、でも死ねなかった。「死ぬ勇気もないんだ、死ぬこともできないんだ」そんな時、その男性はたまたま入った喫茶店でビルラの歌声を聴いた。時代はカンツォーネブームだった。何かがその男性を感情を動かした。ビルラの歌声はこのように響いてきたと言う。「失うものがあるのかい?もう一度生まれ変わってみるという人生だってあるんじゃないか?」

その男性は必死で生活を立て直し、そして思った。「ビルラに会いたい。お礼を言いたい。自分が生きている感謝の感情をビルラに伝えたい」そしてイタリアに行く。ビルラを聴き、楽屋でビルラに会い、そしてカタカナで綴ったイタリア語のメモを見ながら必死に自分の思いを伝えた。「あなたの音楽が私の人生を変えたのです」伝えなければならないと思った。ビルラはその男性を抱きしめてくれた・・・

ビルラに伝える、その男性にとっては大事なことだったのだ。他の人にとってはそうとは思えないことでも。

「もし、自分の命が今日だけで終わるとしたら、今日の予定は本当にあなたのすべきことですか?」

おそらく、ほとんど人が「いいえ・・・」と答えなければならないだろう。会社には行かなければならないだろうし・・・

でも、人生のやり残しを抱えていないだろうか?それとも自覚もしていない?人生ってなんとなく、いつまでも続いているように思う?

人生は有限である。無限ではない。人は誰でも死ぬのだ。でも自覚は難しいよね。でも死ぬ間際に後悔するらしい。人は死を覚悟した時に「失敗したこと」を嘆くことはないのだそうだ。後悔するのは「できたかもしれないのに、やらなかったこと」なのだそうだ。

ピアノを習い始めて間もなく、初歩だというのに「展覧会の絵」に憧れてしまった。先生は当然笑いながら「冗談でしょう?」などと言う。弾いてみればいいのでは?命はあと一ヶ月かもしれない。実際に弾けるようになるには莫大な時間が必要かもしれないし、弾けないかもしれない。でも「やってみた」という事実は残る。

アマチュアだけど、自分が心に感じたものを曲を通して共有したくなる。やってみればいいのでは?やろうと憧れた事実は残る。憧れを信じようとした自分は残る。

「どうせ素人だし・・・感情表現なんて無理だし・・・」そう本心から思うのなら、やらなくてもいい。必要性を感じなければ、それはそれで後悔もないだろうから。判断できるのは自分以外には誰もいないのだから。「挑戦しておけばよかった」「心のままに自分を信じてやってみればよかった」と後悔しなければいい。

マンゴはもうこの世にはいない。心臓発作で亡くなっている。突然死だ。コンサートの舞台上でのことだったそうだ。最初は快調に歌っているのだが、途中で突然ピアノが弾けなくなり、歌えなくなる。マンゴは聴衆に「ちょっと待って・・・」と言ったらしい。ゼスチャーでスタッフを呼ぶ。異変に会場は騒然とし、スタッフが駆けつける・・・

イタリアでの葬儀では出棺時、棺を拍手で送ることも多いそうだ。それは「ありがとう」という感情なのではないか?葬儀にはファンも参列している。棺が安置された車をいつまでも追いかけていくファン・・・

マンゴの歌によって感情が動いた人は多くいたと思う。

音楽にはそのような力があると信じる。人間にはそのような感情があると信じる。死ぬ間際に後悔はしたくない。

kaz




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