ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアノ教師も弾く人、追う人 

 

バシキーロフのレッスン動画を観て感じた。バシキーロフ、若いねぇ。枯れていないというか?1931年生まれなんだぁ・・・

感じたのはそれだけではない。もしバシキーロフが初歩の生徒を教えたら?たとえば小学生にブルグミュラーの25練習曲をレッスンする・・・みたいな?彼がブルグミュラーを知っているかという現実的な事は別として、ラフマニノフだろうとブルグミュラーだろうと、同じように教えるような気がする。どこをどうすれば曲として成り立っていくのかという基本を押さえたレッスンという感じがするから。曲が魅力的なものとして他者に訴えていく、そもそもの基本、語法に関連したメカニカル、そのようなレッスン。抽象的ではないというのかな?

「そこはもっと弾むように弾いて!」ではどうすれば弾んでいる感じで弾けるのか?具体的な語法があるはず。「歌って~」ではどのように?

「そこは盛りあげて。クレシェンドでしょ?」「そこはドじゃなくてレでしょ?」ぐらいだったら僕でも言える。「そこのパッセージが転ぶわね、リズム練習を一日○回してきなさい」これも僕でも言えるかな?プロのアドバイスとは言えないというか。プロだったら転ぶ原因をその場で把握し、「どの部分がいけないので転んでいるのか、どうすれば転ばずに弾けるのか」という生徒がその場で納得するアドバイスをするべきだと思う。

教室運営というか、どのように繁栄させるか・・・のようなセミナーも多いと思うが、生徒側の立場として思うのは、レッスンという場で生徒を納得させ、驚嘆させ、尊敬させること。それができる教師のところへは生徒が自然と集まるような気がする。皆、そりゃあ、悩んでいるし、上手くなりたいさ。

「こうしてみたら?その部分をそうではなく、このように・・・」「あっ、全然違いますね」

ここで「先生・・・凄い・・・」となる。教師の一瞬技というのだろうか?

でもバシキーロフはピアノに興味を示さないような、練習もしてこないような生徒は教えないよね?そこが街のピアノ教室との違い?バシキーロフが「練習した?」生徒が「してませ~ん」・・・ちょっと想像できない。でもこれは日本の音大の先生もそうだと思う。「ちょっと、あなた・・・練習したの?」「全然弾いてませ~ん」なんてことはないだろう。そもそも音大の先生が学生に対し、「どうしたらピアノを弾くように、少しは練習してくるようになるのかしら?ピアノ好きの学生を育てるにはどうしたらいいのかしら?」なんてことで悩んだりはしないだろう。

「生徒がワクワクするような、興味を持続させるようなレッスン」そのノウハウ・・・このようなセミナーが繁栄するということは、ワクワクしていない、興味を示さない「別にぃ・・・」的な生徒が存在しているということなのだろう。悩んでいる教師が多いということなのだろう。「練習?しませ~ん・・・ピアノ?別にぃ・・・」

素人で部外者の僕だったら「じゃあピアノは辞めて好きなことをすればいいのに、習えばいいのに・・・別にピアノじゃなくても」なんて思ってしまうが、街のピアノ教師はお金を頂いているわけだし、そういうわけにはいかないのだろう。仕事だしね。だから悩む・・・

まずはピアノが好きで、そこそこは練習して・・・程度がクリアできていないとピアノの継続そのものが危うくなる。セミナーも繁栄するわけだ。でも、あまりにも小目標的なことに奮闘していないだろうか?やはり最終目標は「音楽」なのではないだろうか?

音楽で開眼させ、引っ張ってしまう・・・これができる教師は強いのでは?指導法ノウハウ、教材研究も必要だが、教師自身が弾く重要性はここにある。

「練習嫌いで~す」「弾いてませ~ん」「別にぃ・・・」とにかくなんとかせねば・・・その時にはセミナー通いをして、とりあえずは小目標クリアを目指す。でもいい教師とはその部分が長けている人・・・ではないような気がする。引っ張れる人。音楽で引っ張る。演奏そのものと、具体的アドバイスで生徒を納得させることができる。具体的アドバイスは弾いていなければ、引っ張られた経験がなければ難しいのではあるまいか?

バシキーロフの演奏。有名なこの曲を弾ける人は多いだろう。でもこのように弾ける人は?でもこの演奏に憧れる人もまた多いだろう。「ああ・・・こんな風に自分も少しでもいいから弾いてみたい」だから追う。弾かずに追うことはできない。

kaz




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