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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

本番までの気構え 

 

今まで本番中に自分の音が聴こえないということが何度もあった。それはサークルの練習会とかではなく、サークルでも年に一度の演奏会だったり、ピアチェーレの演奏会だったり、つまり「ここぞ」という大事な舞台でそうなってしまうことが多かった。聴覚というものは心理的な緊張のようなものと密接に関係しているらしいから、自分の出番までに硬直して楽屋にいたりとか、客席で聴いていたりなどせず、外に出たりとか、できるだけ気分転換などに励んでいた。でも聴こえなくなる・・・

不思議なことに、練習会では客席で他の人の演奏を自分の番の直前まで聴いているので、条件は悪いはずなのに練習会ではあまりそのようなことはない。緊張の度合いが違うのか?

つらつら考えるに、これには理由があるような気がしてきた。大事な演奏会の場合、僕にしては長期間練習している曲を弾くことになる。練習会の場合、長くて譜読みから一ヶ月、極端な場合は、弾ける曲の中から当日選曲・・・なんてこともあるから、大事な演奏会の場合、3ヶ月以上も同じ曲を弾いているなんて、僕にしては珍しいことなのだ。

普通は長期間同じ曲を練習していた方がいいと感じるのでは?そのような人が多いのでは?発表会の曲など、半年以上も前から生徒に曲を与えている先生もブログなどを読むといるみたいだし・・・

たしかに同じ曲を弾いていて、予行練習的に練習会などでも繰り返し演奏した方がいいのだろうと思う。でもそれがどこか苦しい・・・飽きっぽいのだろうか?それとも違うような気がする。

長期間抱えてきた曲を演奏する時に、聴覚に異常を感じる・・・

僕は、子どもの時に自分で時間をかけて曲を仕上げたという経験がない。レッスンではバイエルが合格せず、結果的に同じ曲を何か月も弾いていたけれど、それとも事情は異なるような気がする。「さあ・・・○○ヶ月しかないので頑張りましょうね?」「はい・・・頑張ります」という普通の生徒が経験してきたようなことを経験していないのだ。

あとは、曲を仕上げる、仕上げたいという欲求が僕の場合著しく低いみたいだ。むろん、本番で失敗はしたくはないので、練習はするが、本番の日の演奏の出来映えというものに一喜一憂ということもない。曲の完成を目指すというよりは、曲に染まりたいというか?

選曲の場合も、「憧れの○○を弾きたい」という強い欲求があるわけでもない。嫌いな曲は弾かないが、どこか鑑賞者の感覚で選曲をする。「今の時間はこの曲を聴きたいな」みたいな?鑑賞者としては、いくら好きな曲でも長期間同じ曲を聴き続けるということはない。その日の気分などによって聴きたい曲は変化する。僕の場合、自分がピアノを弾く時も鑑賞者みたいなのだ。

追うもの、目標も「曲の完成度」みたいなものではなく、鑑賞者として受けた感動をそのまま追うみたいなところがある。

大事な演奏会の準備としての「おピアノのお稽古をしっかり」みたいなものを優先しなければいいのだ。細部を、ここを仕上げて、みたいなことを思い過ぎない。それも大事だが少なくともそれを目的化しない。

つまり本番では「練習の成果を!」ではなく「音楽をそのまま追う」みたいな感覚で弾けばいいのね?そうなのに、どこか無理していた?

でも実際にどのように曲を抱えていればいいのだろう?まさかすべて一ヶ月前に選曲というわけにもいくまい。

kaz


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