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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

謙遜ピアノ 

 

昔、アメリカで一度だけ演奏をしたことがある。プロもアマチュアも混在するような演奏会だった。僕は海外でも不定期にピアノのレッスンを受けたりしているのだが、レッスンを受けたピアニストの門下生の会・・・のようなものに出演したという感じだろうか?レベルとしては日本のサークルの演奏会と同じ感じだ。上手い人もいれば、初心者もいる・・・みたいな?ただし違いがあった。大変に大きな違い。

「私はピアニストです」という表現をどの人もするのだ。「私はピアノ歴5年のピアニストです。今日は○○を弾きます」みたいな言い方。プロなら自分をピアニストと表現して当然だが、いわゆるアマチュアの人も自分をピアニストと表現する。演奏を聴いてみれば、途中経過のような、少なくとも技能的には未熟な人でも屈託なく「私はピアニストです」などと言う。

「ピアニストです。いつもはレントゲン技師です」「ピアニストです。食品会社を経営しています」

日本だとこのような表現が普通だろう。「会社員です。趣味でピアノを弾いています」

基本的に、ピアニスト=ピアノを弾く人・・・という概念が存在しているのではないかと思う。日本だとピアニストという言葉からは、華やかに大ホールで演奏する人、CDをバンバン発売する人・・・みたいな一般的概念が存在する。

自分をピアニスト・・・と表現するのは、アメリカだけではないようだ。イタリア人の友人も「僕はギタリストで・・・」という言い方をする。日本的感覚だと「趣味でギターを弾いている」になるが、そうは言わない。「ギタリストです。いつもは服のデザインなどをしています」みたいな言い方を普通にする。

日本は謙遜が美徳とされる社会なのではないだろうか?自分をピアニスト・・・なんて呼ぶ習慣そのものがない。おそらく日本で「ピアニストです」なんて言うと「どんなに素晴らしい演奏を聴かせてくれるのかしら?」などと思われてしまう。

思われてしまう・・・なんとも日本的発想ではないか?謙遜、つまり自分を一段低いところに置いてしまい、「まだまだ未熟なんです~」というスタンスを貫く。謙虚なようだが、実際に謙虚だとも思うが、こうも言えないだろうか?他人から「・・・と思われる」ということを気にしすぎていないかと。先のイタリア人の友人はこう言う。「日本人はいつも逃げ道を用意しているみたいだ」と。「とても楽しかった。よく表現できたと思います。上手く弾けたと思います」などと言ってしまうと、「あれで・・・?」などと思われる可能性がある。それを恐れる。なので「沢山ミスしてしまって・・・」とか「全然弾けなかった~」と逃げてしまう。本心なのかもしれない。でも一瞬でも「音楽できた」という瞬間はなかったのだろうか?

謙遜は美徳だろうか?本当は「緊張してしまって・・・本当はもっと弾けるのだけれど・・・」みたいなものを無意識に表現してしまうことにもならないだろうか?結構、これって狡猾な感じではある。謙虚のようでいて「本当の自分はこんなものではない」的な逃げ?

アマチュアの演奏後の感想、よくブログなどでも書かれる話題だが、おそらく100パーセント近い割合で自己反省文となる。自分がミスしたこと、至らなかったところ、未熟な部分を振り返り、今後に生かす・・・大切だが、少しは自分を肯定してもいいのではないかと思う。「・・・と思われる」別に思わせておけばいいではないか?「ホロヴィッツより素晴らしく弾けたと思う」なんて言うと、そりゃあ「えっ?」と思われるだろうが、時間を見つけて練習した、人前で弾いた、少なくとも、その曲を弾こうと感じた動機のようなものを、自分の演奏で再認識できたのなら、それは人生において素晴らしい時間でもあるのでは?一瞬でも「ああ・・・音楽している」みたいな瞬間があれば素晴らしいではないか?肯定してもいいのでは?「上手く弾けたんじゃないかな?幸せなひと時でした」と。

レナード・バーンスタインの言葉・・・

「音楽をやりたい欲求があるのに、あきらめることは自分が存在しないも同然」
「あなたが音楽家になろうと思った時から、あなたは音楽家なのだ」

kaz




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