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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

残念なすれちがい 

 

演奏会って大雑把に分けて二種類あると思う。有料の演奏会(チャリティー目的などではない)であれば、プロの演奏と僕などは解釈してしまうが、まずは演奏で生計を立ててはいないが、教えたりなどしながらという演奏家の自主リサイタル。もう一つが外来スターピアニストのリサイタル。自主リサイタルも世界のスターリサイタルも、聴き手の感想としては同じになる。「またこの人の演奏を聴いてみたいかどうか」ということ。自主リサイタルの場合、惜しいのは、どうしても研究成果発表会みたいな感じになってしまうリサイタルが多いことだ。むろん、そうではないリサイタルも多いが、どうしてもハレの舞台、積み重ねてきたことは惜しみなく披露したいということからか、ヘビーな内容になってしまうリサイタルが多い。ベートーヴェンの後期のソナタ、シューマンのファンタジー、ラヴェルの鏡、そしてラフマニノフのソナタ・・・こんなプログラムもあった。頑張ったのだろうが、僕だったらそのピアニストに「あなただったらこの曲目、自分で聴きたいと思う?」と問いたい。聴き手って、少しでも「演奏者都合」みたいなものを感じてしまうと、疎外感を感じてしまうものだ。「あなたが一生懸命なのは分かるけど・・・聴いている人にそれって関係ある?あなたの頑張りを聴きにきたわけでもないのにな・・・」

さすがにスターになれば、そのようなことはない。商売、経済活動ということも絡んでくるだろうし、「また呼んで頂かなければ・・・」みたいなことは自主リサイタルよりはあるだろう。自分・・・ではなく、聴き手にとってどうかということも絡んでくる。そして世界のスターやコンクール覇者組は上手だ。自主リサイタルの場合、それこそ色々な演奏が混在しているだろうが、スターはスターだから、あまり変なことはしない。しないけれど、やや退屈だったりもする。完璧で安定しているんだけど、彼らの弾いている作品は、不安定な心情の発露・・・みたいなものだったりする。そこを安定感バリバリで弾かれてしまうと、どうもサクサクと・・・という感じもしてきてしまう。旅行に行く。有名な観光地。そして思う。「あっ、写真と同じだ」と。風景は素晴らしいのだろう。でも意外性というか、あまりに想像と同じなので、そう感じる。スターの演奏って、どうもこれに似ていたりする。

クラシックって、好きな人は好きなんだろうが、どうも一般的に受けが悪い。高尚だと思われているというか。これって需要と供給のバランスの問題なのではないだろうか?むろん、ミーハーな人って多いから「○○コンクール優勝?キャッ・・・」という人もいるだろうし「いいんですって・・・」みたいに人がいいと評すれば、疑いなく自分もいいと想い込んでしまう人もいるだろう。でも聴き手の中の、かなりの割合の人が「もっと心に響く演奏が聴きたいな・・・豪華絢爛でなくてもいいから、ジ~ンとしてしまうような演奏が聴きたいな」などと思っているのではないだろうか?

上手い演奏は沢山あるが、意外と心に響いてくる演奏って少ないように感じている人って、そう思っている人って僕だけではないように思う。

聴き手の本当のニーズを演奏する側が認識していないというか。弾く・・・となると演奏者都合になってしまうというか?

ヒューバート・ハリーのような演奏?好みはあるだろうが、彼のようなピアニストの演奏って、大ホールを連日満員にする・・・みたいな感じではない。華やかな、かつ表面的説得力というような感じではないから。多くの聴き手を集められないと招聘する側が思うのかもしれない。リスキーなのかもしれない。でもニーズは高いように思うが?

演奏者の意識、聴き手のニーズに何かしらの「すれちがい」のようなものを感じる。

kaz




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