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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

訃報 

 

メゾソプラノのエレーナ・オヴラスツォワが亡くなったのだそうだ。知らなかった。哀しさに包まれる。75歳だったそうで、告別式、追悼式は彼女が最も愛した場所、ボリショイ劇場で行われたそうだ。

好きな歌手がこの世を去ったということだけではなく、僕にとっては特別な哀しみを感じる理由としては、中学生の頃、実際に彼女の歌唱を生で聴いているからだ。あの頃は僕の人生の中で最も音楽というものとの接触が少なかった時期でもある。中学生になって、その他の多くの子どもと同じように、僕もピアノを辞めた。電子ピアノなどというものも当時は一般的ではなかったし、ピアノなんて弾く時間もなかった。夜に弾くということができなかったというのが大きかったし、なぜか進学校に合格してしまって、どこか鈍重な僕は授業についていくのがやっと・・・というところもあり、自然と音楽からは離れていた。ピアノのレッスンそのものは、なくなっても、全く何も感じなかったが、音楽を聴く時間も減ることは、どこか苦しかったのだ。でも、これまた多くの子どもと同じように、そのことは自覚しないように生活していた。「忙しいし、音楽なんてなくても別にいい・・・」みたいに強がっていたところがあった。

中学時代、それでもレコードは聴いていたし、演奏会にも通ってはいた。でも、どこか気分転換のような、日常に対しての癒しのようなものとして音楽を無理やり捉えようとしていたように思う。

「ねえ、本当にそれでいいの?あなたにとって音楽ってそういうものなの?本当に心が張り裂けるような感動を感じなくても平気なの?」

当時の僕に、このような痛烈なまでのメッセージを与えてくれた音楽会が三つある。一つはバーンスタイン指揮のニューヨーク・フィル、二つ目がソビエトのトランぺッター、ティモフェイ・ドクシツェルの演奏、そして三つめがオブラスツォワの電撃的な声だった。バーンスタイン+ニューヨーク・フィルの演奏ではショスタコーヴィチの5番に衝撃を受けたし、あとの二人の演奏家はソビエトの演奏家だ。どこかソビエト、ロシアというものに憧れがあったのだろうか?会場も上野の東京文化会館だった。まぁ、当時は話題になる来日演奏家は皆あそこで演奏したから、これは偶然ではないだろうが、ソビエトつながりというのは、これも偶然だったのだろうか?

電車に乗れないんだよね、あまりに強い衝撃を受け、涙が止まらないんだ。いきなり現実の世界に戻る強さがなかったというか。泣きながら数駅歩いた記憶がある。

自問自答だったのか、それとも彼らの演奏から「本当にそれでいいの?あなたにとって音楽ってそれだけのものなの?」というメッセージを受け取ってしまったのか・・・

今は、彼らのメッセージを封印してしまうことはない。だからピアノを弾いているんだ。

気ままにソビエト、ロシアつながりで、いくつかブログに綴っていきたいと思う。

kaz




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