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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

青い眼が欲しい 

 

ブロンクスのその部屋を訪れ、初めてHに会った時、彼は「僕はヨーロッパ人と部屋をシェアしたくなかったんだ」と僕に言った。ブロンクスという地域はイメージとして良くない。荒廃している、治安が悪い・・・みたいな。だから部屋の借りてが見つからなかったのかもしれないが、H自身がヨーロッパ人を拒絶していたのも理由の一つだったのだと思う。

ヨーロッパ人はイヤなんだ・・・その言葉にHのポーランド移民、そしてユダヤ人としての感情が渦巻いていたのだと思う。日本という単一民族が支配する、つまり一つの価値観が幅を利かせている国で生まれ育った僕にはHの感情は理解できないところもあった。

「なんでヨーロッパ人がイヤなの?」と質問したかったけれど、それは軽率な行為であるように僕には思えた。でもHは共に暮らしてしばらくしてから僕に質問してきた。「日本のように同じ民族だけで暮らしている国って、実のところどんな感じだい?」そう訊いてきた。率直に答えたと記憶している。「窮屈なものだ」と。アメリカに留学する前、僕は働いていた。公務員という実に安定した職業だ。自分の意思で退職するのにも勇気は必要だったが、それよりも大変で、イヤな思いを味わったのが、反対意見を聞かされることだった。「その年齢で留学なんて・・・」「帰ってきてもいい仕事なんかないぞ」「もう若くはないんだから」正反対に引っ張るような意見に閉口した。だからHに言ったのだ。「窮屈なものだ」と。

「一つの価値観を絶対視し、そこから外れた価値観を攻撃、排除しようとする」そこが窮屈だと。Hは寂しそうに「ヨーロッパと同じじゃないか?」と言った。

AとBという考えがある。演奏でもいい。多くの人は、まず相違点を見出す。それも大事だし、まずは相違点が目立つのだろうが、このような場合、共通点を見出すこともありなのだ。全く正反対、異質のもの同士に感じても、どこかに共通するものがある。その部分が実は真理だったりすることもあるのではないか?

相違点から出発してしまうと、お互いの考えを守ろうと、そして異なるものには脅威や恐怖を感じるから、攻撃し合うことになる。あるいは、人と異なり、マジョリティというものから外れていると、どこか不安にもなるので、同じ価値観を持つもので固まってしまう。だから窮屈にも感じる。

人間は皆異なるのだ。でも共通しているべきものもある。それは愛だったり、尊厳だったり、誇りだったりする。それを知れば相違点を持つものに対して寛容になれるのだ。同じ人間なのだから。

「これいい本だよ。読んだことがないなら是非読んでみるといい」Hが貸してくれたのはトニ・モリソンの「青い眼が欲しい」という小説だった。いかんせん、当時の(今もだが)僕の英語力ではその小説は難しすぎた。「僕にはこの英語は難しすぎる」とHに本を返した。「そうなんだ・・・」

トニ・モリソンに限らず、Hは黒人文学をその頃はよく読んでいた記憶がある。リチャード・ライトとかジェイムス・ボールドウィンとか。音楽も黒人霊歌などが好きで弾いていたように思う。

ユダヤ系ポーランド人と黒人、底に相違点ではなく、迫害を受けてきた人間としての共通点をHは見出していたのではないかと思う。後年、Hが読んでいた本を日本語訳で読んだりしたが、あまりの息苦しさに辛くなった記憶がある。ボールドウィンの作品など特にそうだ。彼の作品は人種的差別だけではなく、同性愛や両性愛の問題にまで、性差別という問題にまで踏み込んでいたから、かなり重かった印象がある。発表当時は衝撃だったのではないだろうか?

トニ・モリソンの「青い眼が欲しい」も日本語で読んだ。記憶が曖昧なところもあるが、たしか黒人の少女が、自分が、そして自分の周囲が不幸で貧しいのは、自分が黒人であり、その容姿に原因があるのだと思いこんでしまう。豊かな白人のような容姿になれば、幸せになれるのだと、その少女は青い眼に憧れる。「青い眼が欲しいの。青い眼にしてください。白人の少女のように。そうすれば地獄を味わわないで済むんでしょ?」

その少女は父親にレイプされ妊娠してしまう。少女は精神的に錯乱し、本当に自分が青い眼を授かったと信じ込んでいってしまう・・・こんなストーリーだったように思う。白人社会というマジョリティの価値観を絶対視する考え、それを真っ向から覆すような小説だったように思う。

マジョリティとマイノリティ、そこに相違点があるからこそ分類されるのだろうが、共通したものあるのだ。人間だもの。それは愛とかだったりして表現しにくいものだったりするので、非常に分かりにくい。あるいは分かってくれないと思う。その人間感情に対しての理不尽さのようなものが芸術として発露することだってあるんじゃないか?それは理不尽さを強調する哀しさだったりするかもしれないし、人間として共通している愛という崇高なものだったりするかもしれない。

「僕はヨーロッパ人はイヤなんだ」この一言でHがポーランドでどのような体験をしてきたかが想像できる。でもアメリカという国で、今度は自分がマイノリティから「白人」という「マジョリティ」に分類されてしまった。Hはそこに、ある種の人間としての理不尽さを感じていたようにも思う。

この演奏はジャズという音楽に分類されるのだろう。その音楽を特徴づけている、他との相違点を感じつつ聴く聴き方もあろう。でも他との共通点を感じつつ味わってもいいのだと思う。共通している部分。このパフォーマンスを自分だけの中で、ユダヤ文化であるクレズマー音楽と感じてもいいのではないか?黒人もユダヤ人も同じ人間だ。迫害を受けてきた人たちの音楽だ。共通している部分も多々あるだろう。それは愛だったり誇りだったりするんじゃないかな?人間として共通した部分。

Hは「それじゃヨーロッパと同じじゃないか?」と僕に言った。そしてそのあと呟くようにこう言った。

「同じ人間なのにな・・・」

kaz




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