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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

完成度が目的か? 

 

人とあまり変わらないピアノライフを送っていると思う時もある。本番が終わると精神的な停滞期になり、どこかダラダラとしてしまう。そして「次の練習会まであと一ヶ月しかないんだ」と焦る。ピアノを弾くことが喜びで毎日何時間も弾かずにはいられない・・・なんていうことはないです。なかなか弾けない箇所などは、「どうやって間に合わそうか?」などと思うし、そりゃあ本番では日頃の練習の成果は出たらいいと思う。「失敗してもいいじゃない?」などとはとても思えない。このように他人と比べて「同じかな?」と思うところはある。でも他人と違うのかなと思うことも実は多かったりする。

練習を重ね、暗譜をし、人前での演奏に備える。この部分は多くの人と同じだと思うが、究極の目的のようなものが違うのかもしれないなどと思うことは多い。多くの場合、アマチュアもプロも「完璧」というものを目指しているのではないかと。むろん、完璧なんてないから、日々精進したり、結果に落ち込んだりするわけだが、行き着く先は完璧というものを目指す。

「ああ、弾けなかった」「練習ではできていたのに」「どうしたら緊張しないで弾けるのかしら」「崩壊してしまいました」どこか完璧というものを目指しているからこその感想という気もしてくる。その曲を選び、弾く・・・完璧度などというものよりも、そもそもの表現したいという動機も大切なのではないかとも思ったりするのだ。動機の部分は言葉では表現できない。だからこそ弾いている・・・みたいな?

生きていれば泣きたくなることだってあるし、死んでしまいたいと思うことだってあるだろう。その時の心の動きのようなものが、ピアノを弾くうえでの動機となる。曲のある部分、あるいは全部が共感してくれて代弁してくれるような気がする。そこに触れ、できれば他の人にも伝わればいいけれど、とにかく触れたいという気持ち?代弁させたいという気持ち?

最近のスターピアニスト、指達者なピアニストの演奏を聴いても心が動かないのは、目的が完璧さというものにあるから。そのように聴こえてしまうから。何があっても乱れず、常に安定している。凄いことだが、もし曲そのものに作曲者の心の不安定さや、移ろい、迷い、弱さが反映されていたとしたら?その部分があるからこそ、聴くものの心が動くのだとしたら?

ピアノを弾く、そもそもの動機のようなものを追ってしまうと、どうしても何もかもがディープなものとなりがちだ。「すべての人がそのように考えなくてもいいのでは?ピアノを弾く目的、動機なんて人それぞれでは?楽しければいいということだってあるじゃない?完璧を追ってもいいじゃない?」

そりゃあ、いいと思う。色々な感じ方があってもいいと思う。別にディープな感情をすべての人が感じなくてもいいと思う。でも僕自身が表面上とてもよく弾けている演奏に対し、「ああ、感情の動きの、そもそもの動機のようなものを感じさせてくれれば、ミスなどあっても、もっといい演奏になるはずなのに」と人の演奏に対して感じる自分も、またあっていいと思う。

演奏に対しての感じ方、これも人それぞれだと思うが、僕の場合、アマチュアもプロも関係なく聴いてしまうところがある。「早く終わらないかな」と感じさせないで欲しいということだ。これはある意味、厳しい聴き方なのではないかとも思う。ピアノを再開して2ヵ月です・・・という人の演奏にも抱いてしまう想いだから。これは表面上の出来栄えとか、曲の難易度というものとは一切関係なくそう感じてしまう。僕のイマジネーションを超えた何かがあれば、「あっ、いいね」と惹かれるし、達者な演奏でもこちらの想定内であれば、やはり感動はできず、感心のみとなり、「早く終わらないかな」などと思う。表面上はミスが多く、つっかえたり止まったりしても(頻度によるが)演奏者の心の動きとか、曲への共感とかが音感情として表出されていれば、決して「早く終わらないかな」などとは思わない。

曲を一生懸命練習して整えることも必要だが、なぜ作曲者がこの曲を、このような曲を残したのかという心の原点というものに入り込み、心の発露、感情の発露という部分に共感し、そこを出発点とし、ゴールにしてもいいのではないか?物凄く不安定で繊細な人間だったからこそ、作品として作曲者は残したのではないか?演奏歴がどうとか、上級だとか初級とか、そのような表面上の進度とか関係なく、演奏者として作品に共感し、代弁してくれるのなら表出してみたい・・・のような感情の動きを見つめるのもいいのではないか?

すべての人がそう思うべきとは言っていない。でも僕がそのように思うのも、また自由だとは思う。

この動画にザルメン・ムロテックという人が登場する。彼のピアノはいいなと純粋に思う。達者なポリーニ的(?)演奏ではないが、いつまでも彼のピアノを聴いていたいと思うし、なぜ彼がピアノを弾くのかが理解できる。彼が歩んできたユダヤ人としての人生や、彼の祖先のことも自分と同化はできないが、共感する部分もある。同じ人間だから。

ムロテックさんは、本当に音楽が好きなんだな・・・と思う。それが他人に伝わるって素晴らしいことのように思う。

難曲が存在していて、「弾けるかい?乗り越えられるかい?」と作曲者が要求しているのではなく、もし作曲者が「もしあなたが分かってくれたら嬉しい」と要求しているのだとしたら?

kaz




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