ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

セ・マニフィーク! 

 

ピアノという楽器は実に難しい楽器だと思うけれど、それは僕自身がピアノを弾いているからそう感じるのであろう。発想を変えてみると、実はピアノという楽器は入りやすいという面もあるのではないか?なぜにピアノを習う子どもの数は他の楽器と比較して多いのだろう?数えたことはないけれど、ピアノ教室は、ヴァイオリン教室よりも確実に多いはずだ。音大のピアノ科の学生数も同じだ。人数では他を圧しているのでは?

「そりゃあ、ピアノは他の楽器とは比べ物にならないくらいに魅力的だからよ」

そうかな?簡単だからでは?簡単というよりは、入っていきやすい。まず最初の洗礼である「音作り」という過程がなくても、一応弾いてしまえるという気軽さがある。曲らしきものを奏でることができる。聴くに堪えないギコギコ音のヴァイオリンの音しか出せない場合、まずはそれが修正されない限り、音楽とか曲どころではないだろう。声楽も同じなのでは?絞り出すような絶叫のような声で歌曲は歌えない。まずは発声を・・・となるのでは?

ピアノはこの部分を省いて先に進める。曲らしきものの前に、まずは音作り・・・半年かけて鍵盤を押して「ポーン」、それだけやって「音は出せるようになったわね、そろそろ音符を読めるようにして曲を弾く準備をしましょうか?」なんていうことはないのでは?

音作りの洗礼を受けなくても、ある程度ピアノは弾けてしまう、ということであれば、器用な子とか、頭のいい子など、サクサクと曲そのものは進めてしまう。ピアノの上手な子は学校の成績もいい・・・という暗黙の掟が存在しているらしいが、そうなのかもしれないなどと僕も思う。

ここで考えてみたいのは、本来は音楽を演奏したいという根っこの部分、動機としては音楽的感動というものがあるのが本当だろうと思う。衝撃とも思えるような感動があり、そこで「自分も・・・」となる。ピアノに限らずだが、幼い頃から訓練する必要のある楽器の場合、その感動の時と楽器を始める年齢と一致しないこともある。というか、一致しないことがほとんどだろう。さらにピアノには「音作り」という洗礼さえなかったとしたら?

「来年小学生になります。ピアノを習いたいと言いますもので・・・よろしくお願いします」この場合、「音楽的な感動はありましたか?たとえばショパンを聴いて涙したとか・・・まだでしたらピアノを習うのは早すぎます」そんな風に返すピアノ教師はいないだろう。また、ある程度生徒のレベルが進んで、その生徒が無感動、どんな演奏を、どんな曲を聴いても「べつにぃ・・・」みたいな生徒だったとしても保護者に対して「胎教ぐらいしておいて欲しいわよね」などと思うのも変な話だし、「まっ、本人の感受性の問題だから。私の責任じゃないし」などと突き放す教師もいないだろう。

つまり、動機の部分の自覚がまだない生徒を、動機の自覚、つまり音楽的開眼というものまで導いていくのは、ピアノ教師に課せられてしまっていると言ってもいいのではないか?僕の個人的感覚だと、それは本人の問題・・・という気がする。でも実際には教師の役目に結果的にはなってしまうのでは?現実的には・・・

ピアノというものを完璧に「お稽古事」「習い事」「学校の勉強以外に好きでやること」と割り切ってしまえば、このような「音楽的感動」とか「そもそもの動機」などということは考えなくてもいいのかもしれない。でもそれじゃあ、ちょっと哀しいではないか・・・

もしかしたら、現実には生徒や教師が、そのようなことに悩む前に生徒が辞めてしまっているということもあるのかもしれない。では今の時代、大人のピアノ再開者がこれほど多いのは何故だろう?かつての高度経済成長期に子どもだった世代が大人になったから・・・ということだけだろうか?多くのかつてのピアノを習っていた子どもたちが、動機を知り、音楽的感動を知り、またピアノに戻ってきているという考えも可能なのではないか?

これからのピアノ教育においては、ピアノを習うそもそもの動機、死ぬほど泣きたくなるような感動体験というものと、ピアノを習い始める年齢を含めた、ピアノレッスンというもの、それをどのように結びつけるかということが課題になってくるのではないだろうか?少なくとも、もう「趣味ですか?」「音大進学ですか?」で分けられるような時代は過ぎ去ったとは思う。これからが勝負なのではないだろうか?

ロベルト・アラーニャというオペラ歌手がいる。この人の両親はシチリア出身でパリに移住した人たち。つまりシシリアンということになる。ロベルトの家庭は、食べるのには困らなかったけれど、贅沢は一切できないという感じだったようだ。パリ近郊の労働者階級の人たちが住む、庶民的というか少々治安も悪いような、そんな地域だったらしい。当然、ロベルトは「将来音楽院に進学するために有名な先生に習わせよう」ということもなく、ごく自然に普通の子、少々腕白な子どもとして育った。そんなロベルト少年が音楽に開眼したのは、どうも10歳の頃のようだ。マリオ・ランツァ主演の音楽映画「歌劇王カルーソー」を観て(聴いて)秘かに歌手に憧れるようになったらしい。あとは同時期にルイス・マリアーノをテレビで聴いたから・・・

「これからルイス・マリアーノの映画が放映されるのよ。録音しなきゃ・・・」とテレビの前に家族がテープレコーダーをいそいそとセットする。ビデオなんてない時代、あるいは家庭だったのだろう。そこでロベルト少年はルイス・マリアーノの声に恋をしたのだ。この人は決してオペラの舞台には立たなかったし、ポップス系の歌手であったけれど、正真正銘のテノール歌手だった。そして彼の歌う歌のほとんどをロベルト少年は知っていた。父親や叔父が音楽好きで(イタリア人だし)常にルイス・マリアーノの歌を歌っていたからだ。貧しいながらも音楽の溢れた環境ではあったのだ。

ロベルトは、この感動の後、キャバレーなどで歌い始める。むろんクラシックを歌っていたのではないだろう。そこで稼ぎながら、秘かに歌手を目指していく。この人は声楽というものを、ほぼ独学でマスターしている。

転機は17歳の時。ある人からこう言われたらしい。「本気で歌手になりたいのかい?だったら酒をやめなさい。煙草もやめなさい。そして今のキャバレーの仕事もやめなさい・・・」と。

ロベルトは、その時までの自分をこう語っている。「僕は人よりも劣っていると思っていた。僕ができること以上のことを、すべての人ができるのだと思っていた」

彼は10歳の時の音楽的体験、ルイス・マリアーノの歌声との出会いをこう語っている。「彼の明るい笑顔は僕を喜びで満たし、彼の太陽のような歌声は僕の心を熱くさせ、彼の半音は僕を魅了し、彼の高音の輝かしさと解放感は僕を有頂天にさせました。それはまさに音楽による衝撃でした」

これが10歳のロベルト少年に衝撃を与えたルイス・マリアーノの歌。

まさに「セ・マニフィーク!」

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category: ピアノ雑感

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