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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

お菓子とピアノ 

 

お菓子作りをする。趣味とまではいかないが、よく夜中に作ったりする。もっとも僕の場合、簡単なパウンドケーキばかり。材料を混ぜて焼くだけ。でもお菓子作りって「無」になれるというか、現世を忘れるというか、そのような効果があるのではないかとも思う。出来はどうであれ、すぐに結果が出るみたいな「潔さ」みたいな楽しさもある。

今は材料なども「体に毒ではないもの」という観点も含めているが、昔は本(レシピ)どおりに作っていた。お菓子を作る人なら分かって頂けると思うが、砂糖やバターの使用料が普通ではない。「バター○○グラム、砂糖○○グラムを混ぜ・・・」この場合、「えっ?バター一箱?」みたいなことになる。砂糖もザーッとボウルへ・・・みたいな?「えっ、いいの?」みたいな罪悪感さえ感じてくる。

お菓子作りは基本的には化学反応みたいなところがあるので、変にレシピの分量を変えてしまうと、あまり上手くいかない。ここが料理とは異なるところだ。料理の場合、自分の味覚をもとに、多少のアレンジをしても失敗は少ない。「レシピにはないけれどショウガを刻んで入れてみたら?」大概、レシピどおりよりも自分にとっては美味しくなる(ような気がする)。

大雑把に言うと、お菓子はレシピ、マニュアルに忠実、料理は自分の味覚(感性?)によって引っ張っていく・・・みたいなところがある。

突然にピアノの話になるが、今のピアノ教育は御菓子作りみたいだなと思ったりもする。マニュアルがまずある・・・みたいな?教材研究とか指導法研究とか、まるで調理器具研究みたい。最新の器具、こんなものもあるんですよ~・・・みたいな?

大事なのは、そこではなく、むしろ「どのように味覚を育んでいくか?」というところなのでは?自分の味覚で引っ張れる能力を育てる・・・

味覚と音楽的嗜好、感性のようなものは、どこか似ている。それは教育というものよりは、体験のようなものが反映されるということ。味覚は幼い頃に味わった体験がベースになることが多いように思う。音楽感性も味わった(つまり聴いてきた)体験がベースになるところもあるのではないだろうか?

ピアニストに限らずだが、そして例外も、もちろんあるが、音楽家、演奏家として大成した人は、幼い頃の音楽体験が豊富な人が多い。両親のどちらかが、あるいは両方が音楽家というケースは非常に多い。

「父親はニューヨーク・フィルの第一ヴァイオリニスト、母親はジュリアード音楽院出身のピアニスト」これは、たしかマイケル・レビンの例だと思うが、プロではなくても、音楽が身近にあった家庭環境というものは音楽感性を育むベースとはなろう。「ああ・・・エリート家族だったのね?」というよりは、いい音楽が溢れていた。それを空気のように、無意識に吸収し育ったというところが重要だろうと思う。

「本日のお材料は・・・」的に情報を与えてもピアノは一応弾ける。でもピアノはお菓子のような化学反応は起こらないから、そこが難しい。「一応弾けるんだけど」「ただ弾いているみたいな感じ?」「表情豊かに弾きたい。でもできない・・・」この場合、才能ということではなく、音楽体験不足ということもあるのでは?自分の味覚(感性)で引っ張るという部分があまりにも欠けているのでは?「レシピにはないけれど、胡麻油を加えてみたらどうかしら?」みたいな自分が引っ張るみたいな部分が育っていない?

いい音楽を沢山聴きましょう・・・

意外とここが難しいのだ。味覚には個人差があるからだ。そしてクラシック音楽って、どこか高級感が漂っていたりする。失敗しやすいのは「親しみやすい曲」と大人感覚で聴かせてしまうことだろう。凡庸な演奏のケテルビーの「ペルシャの市場にて」を聴かせるよりも、偉大な演奏を聴かせる方がいいのではないかとも思う。よくある「キッズのための楽しい音楽」的なものではなく、偉大な音楽や演奏・・・

急に個人的な体験の話になるが、僕の場合「ええ・・・お材料は・・・」的なマニュアル、レシピどおりの部分、つまりピアノのレッスンという部分では、とても苦労した。「そうじゃないでしょ?」「どうして弾けないの?「少しは練習してきて・・・」伸び悩んだねぇ・・・典型的な「困ったちゃん」ではあった。でも自分の味覚という部分においては、非常に幸せな体験をしてきたように思う。大雑把に言うと、3歳頃から叔父に預けられて、そこで音楽を聴いて育った。叔父は「流し」だったから、その時聴いていた音楽はクラシックではなく、叔父の歌う歌謡曲やレコードで聴く洋楽ばかりだった。その時聴いた音楽は、現在の僕の音楽的感性、つまり味覚のようなものを決定づけたと思っている。僕が今でもピアノよりは声楽を好むのもそうだし、バスよりはテノールの声、それもリリカルな声を好むのも、この時に聴いた音楽の影響だろうと確信している。8歳からは、何度も記事にしていると思うが、ある音楽好き(クラシック狂?)の医大生と知り合い、彼の好きな演奏を聴いて育った。彼は往年系の演奏家が好きだった。こちらも影響を受けていると確信している。初めて医大生が聴かせてくれたテノール歌手がニコライ・ゲッダで、初めて生で聴いた演奏会がフランコ・コレッリだったことはとても幸せな体験だったと思っている。僕の味覚はこの期間に決定づけられた・・・

とてもラッキーだったことは、二人とも「幼い子どもなのだから」という発想をしなかったことだ。「では子ども用の曲を・・・」という大人目線の選曲をしなかったことだ。言葉を変えれば、彼らは自分の聴きたかった演奏だけを聴いていた。僕の存在を無視したことにもなるが、子ども扱いしなかったということでもある。

3歳の頃よく聴いていたのがティノ・ロッシ。彼の歌い方は僕の味覚なのだ。後年ティノ・ロッシの歌声を聴いて、あまりの懐かしさに泣きそうになってしまったほどだ。まぁ、泣いたけど・・・

この曲の題名は最近知った。僕が所有しているティノ・ロッシのCDには収録されていない。偶然にユーチューブで発見した。約50年ぶりに聴いたことになるだろうか?でも僕は、この曲のメロディーを歌うことができた。記憶にあったのだ。幼い頃、このメロディー、そして歌い方が味覚として僕の中に入り込んでいたのだ。刷り込まれていたというか・・・

彼の歌はシャンソンそのものだが、この曲はもともとはクラシックの曲だ。オペラ「パトラン先生」の中のアリアなのだそうだ。作曲者はバザンという人のようだ。今では忘れられてしまった曲になるのだろうが、実はこの曲、あのバイエルがピアノ用に編曲している。むろん、演奏会用の曲としてではなく、教材としてだが。でも聴いてみたい気もする。バイエルって意外とロマンティストだったのでは?

kaz




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