ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

本場の音 

 

本場の音、本場の演奏というものはあるのだろうか?たとえばフランス人の演奏するプーランクとかスペイン人の演奏するグラナドスなど。個人の個性というものの他に、その国の人でなければ、本当のところは出せない要素のようなもの?

もしあるとしたら、日本人はどうなるのだろう?日本人の演奏するショパン、「ポーランド人ではないのに、よく弾いている」みたいな?

日本人として西洋音楽というものに関わる身としては、やはり「本場の音信仰」みたいなものはないと思いたいところだ。ショパンもバッハも上手いけれど、真に表現できるものは、日本人としては「日本民謡によるメドレー」のようなものだけ・・・というのは寂しいし。

音楽表現において大切なところは、どこの国籍かということよりは、その人個人によるものが大きいと思いたい。

声楽の場合は、言葉というものが関連してくるので、ピアノとは異なるところもあるだろうが、たとえば、アルメニア人のソプラノ歌手が「この道」とか「荒城の月」のような歌曲を完璧に素晴らしく歌った場合、たぶん僕はこう感じるのではないかとも思う。「日本人ではないのによくここまで・・・」と。日本人ではないのに日本特有の情緒を醸し出せている・・・と。ここには僕の中で「日本歌曲は日本人の演奏が素晴らしい」という固定観念のようなものもあるのかもしれない。やはり本場信仰というものはあるのだろうか?

イメージ・・・なのかもしれない。イタリア人=ベルカント、フランス人=お洒落、アフリカ系アメリカ人=ノリノリのリズム感、ジャズとか合っていそう・・・のようなイメージ。この場合、外国人は日本人に対してどのようなイメージを持つのだろうと興味はある。勤勉・・・とか?

セルジオ・フィオレンティーノの演奏するシューマンの「献呈」、ドイツ歌曲なのだから、ドイツ的なるものを本場の音を期待するならば求めるものなのかもしれないが、なんとなく僕が本場信仰のようなものを感じたのは、ベルカント的な演奏、彼がイタリア人であるということ。ピアノが歌っている・・・ベルカント・・・イタリア人・・・のような。ハンマーが弦を打っているとは思えないような、ベルカント的、歌的なピアノだと感じる。この演奏を聴いて、「どこの国のピアニストが演奏しているでしょう?」と質問したら、イタリア人と答える人は多いような気もする。日本人ピアニストと答える人は残念ながら少ないような気はする。

kaz




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