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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ハーポのハープ 

 

チコ・マルクスのように、ほぼ独学ながら、流麗にピアノを演奏してしまう・・・これは「才能」ということにしてしまってもいいのかもしれないが、何かがあるように思う。また彼が演奏している曲がクラシックの曲ではないということも関係しているものと思う。

リサイタルのために何時間も練習してきました、そしてこれがその成果です・・・みたいな「お勉強」という要素のない演奏というのだろうか?むろん、チコ・マルクスにとっては演奏は自分の芸の一部であったわけだから、練習に励んだことだろうが、その演奏には自然に生まれた自発性のようなものが感じられる。まぁ、それがなければ干されてしまう世界でもあっただろうが。

一部の独学の人、あるいはジャズやポップスの素養のある人の、どこか自発性のある、自在な演奏というものは、楽譜を音にしていく過程の手順のようなものがクラシック一辺倒の人とどこか異なるのではないかなどと思ったりする。

楽譜を視覚的に判断し音にしていく、何かしらの指導、アドバイスに従い曲にしていく、困難箇所の克服・・・本番・・・このような手順がクラシックピアノの場合は一般的なのであろう。では、ここに「自分自身が感じた理想の音世界」とか「内面からの欲求」のようなものは、具体的にどのように取り入れていくのだろう?どこか「無」から「完成」に、ひたすら猪突猛進していくのが、クラシックの掟、手順のような?そもそもの自分の欲求は?弾きたいという欲求を起こさせた動機そのものはどこへ?そのようなことは考えたことがありませんとか、「一応弾けるようになってからで~す」でいいものかどうか?動機があるからこその演奏、練習なのでは?

これは日常のレッスンにおいて、「ではポップスなども取り入れてみましょう」などということで解決するようなこととは思えない。問題が異なる。

一生懸命、とにかく仕上げてきました、練習してきましたという印象を与える演奏には、聴き手との相互のやり取りのエネルギーがない。自分完結というのだろうか?音としては聴き手も聴いているのだが、何かしらのエネルギー聴き手に伝わってこないというか・・・

そろそろピアノ教育も、どのようにピアノ力、演奏力を高めるか、興味を維持させるかというノウハウだけではなく、また教材研究ばかりではなく、根本のところ、「なぜあなたはピアノを弾いているの?」「そもそものあなたの動機というものが伝わる演奏とは?」みたいなことを導入から取り入れていく時代なのではないだろうか?「無」から「完成」ではなく、欲求、動機があるから弾く、それを伝えるノウハウを学ぶのがピアノのレッスン・・・「無」からではなく・・・

これはハーポ・マルクスの演奏。ハーポはピアノも上手いが、やはりハープでしょう。彼もほぼ独学でハープやピアノを弾いている。「たかが喜劇俳優の演奏でしょ?クラシックじゃないし・・・」と言われれば、そうなのかもしれないが、ハーポの演奏には「動機」も「そもそもの欲求」も、つまり「なぜあなたはその曲、その楽器を弾いているの?」という根本があるように感じる。

弾きたいと思うから弾くわけで、そこには欲求があるはずだ。理想というか。それは何処へ行ってしまうのだろう?

kaz




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