ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

呪縛から解かれたバッハ 

 

自分は完全に少数派なのだろうと思うことがある。例えば・・・

脳科学者(?)がピアノを習うことは脳にいいことだと、そして習い事はピアノだけをやれば、学校での「お勉強」にもいい影響を与えるだろうと主張。むろん、ピアノを習うと成績が下がる・・・と言われるよりは、いいことだと僕でも思うけれど、でも、ピアノを習いたいという子どもの保護者がそのような目的(脳の活性化?)でピアノを習わせたいと言った時に、「ちょっとそれは違うのではないかと思います」と返すのがピアノ教師なのだと思っていた。でも僕の考えは完全に少数派らしい。多くのピアノ教師が「脳科学者もこう言っています。だからピアノを習うことをお勧めします」みたいなことを書いたりしているから。喜々として・・・

僕は完全に少数派なのだろうと、このような時に感じる。「プロになるわけでもないんです。音大に進むわけでもないんです。だから楽しく・・・」このような考えも僕はあまり好きではない。反対ではないのか・・・とさえ思う。趣味、アマチュアだからこそ、自分の欲求に忠実になれるプレジャーがあるのかと思う。偉大な演奏を聴いて、「ああ・・・いつか自分も!」とか「自分もあの世界に触れたい!」と驀進できる贅沢さはアマチュアだからこそなのではないかと。堂々と偉大な演奏家に憧れることができる喜び、浸ることのできる快楽・・・

自分の楽しみのために、プレジャーのために弾くという快楽というのだろうか?聴き手の反応などというものを無視できる気楽さはアマチュア、趣味ならではなのでは?だからこそ熱く表現したいのに・・・

プロじゃないんだから、まあ、そこそこに・・・反対じゃないかなぁ???でもこの僕の考えは少数派なのだろう。ある意味、特殊(?)な世界に酔うことができる。自分に正直に・・・これが趣味の醍醐味だと思うんだが・・・

アンドレイ・ガヴリーロフがチャイコフスキーコンクールの覇者になったのは、日本流に言えば高校生の時。当然騒がれたし、彼はスターになった。どんどん新譜が発売され、若き世代のホープとして期待されるようになった。そして彼は期待以上の活躍をした。

人々や音楽界が求める「いいピアニスト像」というものに忠実だったのかもしれない。いいピアニストという枠のようなものを彼はふるい落としかったのかもしれない。なんだか重いんだよ・・・と。

「今日は弾かない。弾きたくないんだ・・・」ガヴリーロフは突然キャンセル魔となった。重要な演奏会で突然のキャンセルを重ねることにより、彼はピアノ界から干されてしまった。

「弾きたくない・・・」

彼は自分の欲求を通すことで、すべてを失った。ピアニストとしての地位も、家も家族も・・・

結構長い間、アンドレイ・ガヴリーロフというピアニストの名前は消えていたのではなかったか?

何かをふるい落としたガヴリーロフは再び人々の前に姿を現した。以前とは全く違うピアニストとして。容姿、というか服装というか、髪型というか、外観が変わった。「これが僕だから・・・」

演奏も変わった。個性的と言われる演奏なのだろうと思う。かつての危ういまでの爆演はそこにはない。「これが本当の僕だから・・・」

世間一般での「こうあるべき」というものの呪縛から解かれると、気持ちいいこともある。でも若干の勇気も必要だ。

kaz




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