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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

スケール美 

 

ベートーヴェンからリストへの狭間の時代、まさにこの時代にカール・チェルニーが活躍した。この時代はスケール美の時代だったのではないかと僕は想像する。楽器の発達、改良ということもあっただろうが、いわゆるピアノ技法の基礎的なものの美というものが認識され始めた時代だったのでは?スケール、アルペジオ、ターン、オクターヴ連続、ダブル和音の連続・・・このようなピアノ技術そのものの美を追い求めた時代。ウェーバーとかフンメルとか、まさにスケール美の世界だ。カルクブレンナーなどもそうだと思うが、現在ではスケール美の作品はどこか廃れてしまっているような印象がある。演奏会の形態そのものが変わってしまったのも理由の一つだろう。サロン的な演奏会から大ホールでの演奏会へ。ウェーバーやフンメルなどの珠玉の作品群は、まさにサロン的な場に相応しい。メンデルスゾーンなんかもそうかな?あまり今は大ホールで演奏されないよね?

スケール美作品を演奏するには、現代の多くのピアニストの音は立派すぎるというか、重すぎるような気がする。真珠のような・・・という美意識よりは、どこか鋼鉄のようなものを感じる。廃れてしまった作品群を魅惑的に演奏できる人が少なくなってしまったのかもしれない。逆か?魅惑的に演奏できる人が少なくなってしまったから廃れてしまった?

チェルニーも協奏曲のような本格的作品を残している。聴いてみたけれど、う~ん、微妙な感じだ。溢れ出るようなメロディーの才に欠けていたのだろうか?なので自分の得意分野というものを意識し、教育、そして練習曲という世界に入っていったのだろうか?チェルニーの練習曲は、スケール美の作品群を演奏するには最適の練習と思える。

チェルニーの練習曲を、鋼鉄のようなタッチではなく、真珠の連なりのような、ポイントを狙った最小限負担のタッチで演奏してみると、あら不思議、フンメルのような魅惑的スケール美の作品につながっていく気もする。

フンメルの作品は子どものコンクールの課題曲になっていたりするので、結構達者な子どもが演奏したりしている。でも無理して鋼鉄のように弾くので、真珠の連なり、狙ったタッチでの微妙で軽妙な洒落っ気には遠い演奏ばかりだ。これはフンメルではない・・・みたいな?

フンメルの魅惑的な演奏、個人的にはディノ・チアーニの演奏が素晴らしいと思う。彼は滅多に他の人の演奏しない(できない?)フンメルのソナタとか、ウェーバーのソナタなどで本領発揮している気がする。ベートーヴェンのソナタも、よくある「ドイツ的厳格さ」とか「深淵な精神性」という胃が重たくなるような演奏ではなく、イタリアの青い空のような突き抜けた爽やかさがある。

ディノ・チアーニは日本では、あまり有名ではないのが非常に残念だ。彼は自動車事故で若くして亡くなってしまったから、ピアニストとしての活動期間が極めて短い。それもあると思う。33歳・・・だったかな?

このディノ・チアーニのフンメルの「ロンド」は、まさにスケール美の世界だ。今ではどこか廃れてしまった、忘れられてしまった軽妙さの魅力。チェルニーを鋼鉄タッチで弾いたら苦しい。手も痛くなるだろう。でも、このチアーニのようなタッチだったら?

kaz




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