ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

初心者はパフォーマンスとは無縁なのか? 

 

サークルの新年会が終了。「新年会」と「練習会」とは微妙に異なる。僕が所属しているサークル、通常の練習会では、割と緊張感を持って催される。冷たい雰囲気ではないが、緊張感はある。お菓子を食べながらの雑談の中、気軽に・・・という感じではない。「新年会」も一巡目はそう。でも二巡目以降となると、アルコールも入るし、割と気軽な雰囲気になる。「新年会」だけじゃないかな?このような雰囲気は・・・

基本的には、僕は緊張感を持ったサークルが好きなのだと思う。主催者の方が、「いいピアノ」という観点で会場を決定してくれるので、外国製のピアノでいつも練習会は行われる。スタインウェイとかファツィオリとかベヒシュタインとか、日頃から弾いている楽器ではないので、やはり心躍る。いつもは電子ピアノで練習している人も(が?)多いわけだし。一巡目はクジ引きで演奏順が決まるサークルでも、二巡目以降は「お弾きになりたい方、どうぞぉ・・・」となるサークルが多いような気がする。僕が所属しているサークルでは、二巡目以降もクジ引きで決められた演奏順を守る。これは公平性を考えると、いいことだと思う。誰でも、スタインウェイ・・・弾きたいよね?「誰でもどうぞ・・・」だと、どうしても古株メンバーが独占してしまいがちだ。初めて参加して「私も弾かせてぇ・・・」とは言いにくいものだ。

サークルの参加目的は人それぞれだろう。やはり、人前で緊張感を持って弾く機会を得たい、同じ悩みなどを共有したいという人が多いんじゃないかな?ピアノって合わせもないし、一人で孤独に練習しているだけなので、仲間がいるとやはり違う。多くの教室の、いわゆる「ピアノ発表会」だと、お子様の中に交じって弾くということに、なりがちだが、サークルだとそれがないので、参加しやすいのではないかと思う。

僕も最初は、サークルに向けて頑張る・・・みたいな感じだった。いや、今だって頑張っているさ!ピアチェーレと教室の発表会は年に一度だけだから、参加できればだけれど、二か月に一度という頻度の、しかも緊張感を感じてのサークルでの人前演奏の機会というものは非常に貴重なのだ。でも競走馬ではないのだから、出来栄えに一喜一憂するようなことはなくなった。また、必要以上に「できない自分アピール」「崩壊しました宣言」をすることもなくなった。頑張ってはいるけれど、練習会後の解放感を味わう楽しさを知ったというところが以前とは異なるのではないかと思う。なので、昨日の今日なので、今は解放感、達成感(弾いたということへの)に浸っている。それもピアノの喜びだ・・・と思う。

聴き手と演奏者がいて、時間と空間を共有する・・・このところは、プロのスターピアニストのリサイタルだろうが、アマチュアのサークルの場だろうが同じなのだ。でも緊張感が希薄な「雑談の中」という中での演奏だと、この共有感というものが味わえない。だから緊張感のある練習会を催すサークルが好きなのだと思う。聴き手としての感想、そして自分が演奏する立場としての感想、ここが大きく異なることがある。人の演奏ではミスなどあまり気にならない。あくまでも「音楽としてどう感じる?」という観点で聴くものだ。だから自分の演奏でもミスなど気にしなければいいのに、なぜか自分がミスタッチをすると動揺してしまう。このあたりの心理的矛盾というか、違いを追及していくのもサークル参加の醍醐味なのではないかと思う。こうも言えよう。自分としては練習の時と同じようにミスなく弾けて満足だけれど、聴き手はミスの有り無しを聴いているわけではない、あくまでも音楽として・・・という観点で聴いているわけだから、「やった!失敗しなかった!」と喜んでいるのは自分だけで、聴き手はそうは感じていない可能性だってある。パフォーマンスだから、そのあたりが非常に面白いのだ。

さて、解放感・・・だが、積んでいて聴く時間のなかったCDなどを聴いている。アンネ・ゾフィー・フォン・オッタ―のCDを聴いている。なんという喜びだろう!基本的には音楽なんて聴く方が楽しいものだ。オッタ―の歌唱(また声楽???)では、以前に聴いたクルト・ヴァイルのアルバムが良かった印象がある。なので、クラシックではない分野の歌を録音したオッタ―のCDをまとめて聴いたりしているのだ。

クラシックの歌手がポップスやジャズを歌うということは別に珍しいことではない。でも成功例は意外と少ないようにも思う。必然性かな・・・と思う。ヴェルディでもシューベルトでもなく、あえてその歌を歌っているという必然性を感じさせることが、このようなケースでは非常に難しいように思う。「器用だな・・・」ではなく「いい曲だよねぇ・・・」と感じたいのだ。

オッタ―の非クラシック曲(?)の歌唱では、曲そのものを感じることができる。そこがいい・・・

パフォーマンス・・・だよねぇ・・・とも思う。歌手が自分の出来栄えだけではなく、聴き手がどう感じるかという観点も含めて歌っている。プロでもここが足りない人はいる。自分がどうだったかではなく、聴き手がどう感じたか・・・この醍醐味。厳しくもあるが、楽しくもあるパフォーマンスの醍醐味。

僕のこの感覚は、厳しすぎるのではないかという意見を頂戴したことがある。たとえば、聴き手の印象に残るような演奏というものを含めるなんて、誰にでも要求するのは酷ではないかと。参加することに意義のある人だっているだろうし、それも立派な演奏動機ではないかと・・・

30年ぶりに人前で演奏する、一年前からピアノを大人から始めた・・・そのような人が勇気を出してサークルに参加してくる。その場合、参加することに意義もあるだろうと。たしかにあるだろうと思う。でも、基本的には人間というもの、というか大人ピアノを弾こうという人は、そもそもの動機に「ああ・・・素敵・・・私も弾けたらどんなにいいだろう」という気持ちを秘かに持っていると思う。どんなに心を動かされた演奏を聴いても「私は初心者、関係ないの!」と割り切れる人はそうはいないのではないかと僕は思う。短期目標であれば「弾いた!」ということに意義があるだろうし、自分がどう弾けたかというところが目的にもあろう。でもその人に、音楽的感動というものがあり、ピアノを始めたなり、再開したということであるのならば、そしてそのようなことが動機となっているケースがほとんどだと思うけれど、そうであるならば、初心者だろうと、経験不足だろうと、舞台慣れしていようが、関係ないのではないかと思う。だって人の心を動かしたい、そういう空間、時間を共有したいという気持ちはピアノ弾きだったら誰でも持つ権利があると思うから。強要はできないだろうが・・・

他人が「あら・・・なんだか素敵じゃない?」と思ってくれるなんて素晴らしいじゃあないか?人と何かを共有できるんだよ?初心者だろうとそのパフォーマンスの醍醐味を持つ権利はあるのだ。これは誰からも強要されるべき感覚でもないし、誰からも排除されるべき感覚でもない。

オッタ―はブラッド・メルドーというピアニストと共演している。メルドーってジャズピアニストだよね?でもこれはパフォーマンスだ!

クラシックだろうとジャズだろうと、経験豊かなプロだろうと音大生だろうと初心者だろうと、誰でも憧れる権利のあるパフォーマンス。

kaz




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