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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

音楽としてのトレーニング 

 

アマチュアのピアノ弾きでも、たとえば声楽の伴奏などの経験のある人はいるかもしれない。とても羨ましいと思う。ピアノって、ややもすると一人で完結してしまうようなところがあるから、本当は音楽的な事が問題なのに、本人も教師も「弾きこなす」ということが問題だと思い込んだりしているようなケースだってあるかもしれない。

声楽のレッスンに伴奏者として伺い、声楽教師からピアノのアドバイスを受けるということは、単なる「おピアノ弾きこなし術」ということよりは、純粋なる「音楽的指導」を受けられるチャンスかもしれない。音符を表面上整えるなんていうこと、ピアノ弾きにとっては大変に重要に感じられることであっても「そんなことよりも、音楽的にそれではマズイでしょ?」みたいな指導を受けられる・・・

声楽家から感じたピアノの問題点のようなものを指摘される重要性・・・

ピアノ弾きって、なかなかそのようなチャンスがない。自らアンサンブルの機会を探さない限り、一人で全くトンチンカンなことに悩み続けてしまう危険性だってある。「私って指が動かないし・・・」「問題はそこじゃないでしょ?」「えっ???」みたいな?

どうしても自分の分野の特殊事情というものに捉われてしまうのだ。ピアノであれば「お指」「弾けない」声楽家であれば「喉」「発声うんたら・・・こうたら・・・」たしかにそこに問題があるケースもあろう。でも音楽的な問題点というところで、自分の専門意外の音楽家から指導されるということは、大変に大切なことであるようにも思う。卓越した歌手や指揮者から感じる「自分のピアノの問題点」のようなもの・・・

最終的に目指しているものは「おピアノ操作」ではなく「音楽」であるはずだし。

声楽家の場合、自分の声楽教師以外からの音楽的指摘を受けるチャンスはあるのかもしれない。たとえば、コレペティから指導を受ける・・・のような・・・

マーティン・カッツというアメリカのピアニストがいる。いわゆる「伴奏者」であるのだが、基本的には声楽の伴奏をすることが多いように思う。オペラ歌手が歌曲リサイタルなどで勝負する時に、マーティン・カッツにピアノを依頼することが多いように思う。80年代だっただろうか、オペラ歌手のキリ・テ・カナワが来日した時、このマーティン・カッツと共演していた。この時のプログラムにはモーツァルトのモテット「エクスルターテ・ユビラーテ」が含まれていた。この曲がピアノ伴奏で演奏されることは非常に珍しいのではないだろうか?この時のピアノが見事だったのだ。音は弾み、立体的で、あたかもピアノと声楽のための作品のように聴こえたものだ。また、カントルーブの「オーベルニュの歌」も演奏されたが、この曲もピアノで演奏するには難しい曲だろうと思うが、こちらも見事だった。普通、「オーベルニュの歌」はオーケストレーションの見事さを聴くようなところがある。素朴な民謡とゴージャスなオーケストラサウンド・・・というところが聴きどころ。でも完璧にピアノでそれをカッツ氏は再現していたのだ。

これはそのマーティン・カッツのマスタークラス。ピアニストだが歌手に指導している。これって珍しいことのようにも思える。歌手の指導をするのは歌手だし、ピアノ学習者に指導するのはピアノ教師であるのが普通だから。でも考えてみれば、「音楽」を演奏しているわけだから、音楽家から指導を受ける・・・と考えれば、珍しいことでも特殊なことでもないのかもしれない。

大変に美しいレッスン・・・という印象を受ける。音楽のために、いろいろと苦労するわけだが、「いろいろな苦労」の克服が目的化していないような美しさがある。

kaz




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