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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

シュナーベル 

 

ショパンを聴いて自分なりに弾いてみるのは楽しかった。耳に馴染んだサウンドを自分の指が再現しているという興奮があった。ピアノのレッスンそのものは停滞していたので、レッスンでベートーヴェンを弾くなんていうことはなかったけれど、それでもレッスンで耳に馴染んだ曲というものはあった。ショパンなどを弾いている人はまずいなかったような気がするけれど。

耳に馴染んでいたベートーヴェンの曲がソナタのOp.49の2曲。でも進んだ生徒の弾く、それらのソナタは、僕にとっては「死にそうに退屈な曲」としか聴こえなかった。バイエルを終わっても、あんなに退屈な曲を弾かなければならないのか・・・という衝撃的な印象でもあった。おそらく、音符をただ音として並べているような演奏だったのだろうと思う。

鑑賞者としてベートーヴェンのピアノソナタを聴いたのが、シュナーベルの演奏によるもの。おそらく、唯一自分の知っているベートーヴェンの曲としてOp.49の易しいソナタを聴いたのだと思う。初ベートーヴェンがシュナーベルだったことに、僕は感謝している。

シュナーベルのベートーヴェンは非常に美しかった。子ども心に、巷で言われているような「ベートーヴェン的」なる弾き方とは異なったものだった。僕は今でも作曲者別に奏法を変える・・・という思考に賛同できないところがある。もう少し基本的なものが大事なのではないかと。

シュナーベルの演奏、美しいということの他に、サウンドとして一つとして聴こえてくるのに気づいた。これは当たり前のことのように思えてしまうが、どんなに難曲を弾こうと、未熟な人の演奏って、右手と左手が独立して聴こえてきてしまう。何を弾こうと、そのように聴こえてくる。でも聴き手のテンションを奪うような演奏には、何を弾こうとそのようなことはない。

なんとなく自分の演奏、ただ弾いているだけ・・・という場合、右手が一生懸命、左手も一生懸命というサウンドになってしまっている。響きがないのだ。響きの中にメロディーが乗るという感覚にサウンドどして欠けている・・・

おそらく、Op.49あたりのソナタを弾く時期に、響きに乗せる・・・みたいなことを素通りしてしまうと、その人は難曲を弾けるようになっても、右手と左手を一生懸命に弾いていますみたいなピアノを弾き続けることになってしまうのかもしれない。

kaz




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