ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

イタリアの弾け(はじけ)文化 

 

「僕はピアノのパガニーニになる!」リストがパガニーニのヴァイオリンに影響を受けたことは有名な話だ。パガニーニ本人の演奏は、むろん聴くことはできないのだが、現代の名手たちのパガニーニ演奏を聴くと、リストの驚愕もどれだけのものであったのか、想像はできる。この場合、パガニーニ本人の演奏ということだけでなく、その背景にあった、パガニーニも当然身につけていたと想像できる「イタリア弾け(はじけ)文化」のようなものを含めて想像してみると、より面白いかもしれない。

現代のように近代化、機械化の進んだ時代とは異なり、昔はのんびりしていた。移動は馬車だったし、当時の服装も、それほどスピーディーな動きはできなかった。当時の作品を演奏するうえで、時代考証を考えることは大事なこと。そうなのかもしれないが、あまりにも厳格に考えてしまうと、必要以上に「のんびり」「ぼやっとした」演奏になってしまわないだろうか?もしかしたら、現代の我々の持つ感覚よりも、昔の、特にイタリアの音楽はスパークしていて、弾けていたのではないかと想像してみるのもいいかもしれない。弾け文化を持っていたパガニーニにリストは惹かれた・・・

昔の作品=古式風にのんびり・・・みたいな考えそのものを否定してしまっている作品もある。たとえば、ドメニコ・スカルラッティの鍵盤ソナタ。バッハの組曲の各舞曲などは、再現された当時の衣装、当時の踊りなどを見て、「これが本当のクーラントの踊りなんですよぉ」みたいなものに影響されてしまっても、なんとなく通ってしまうようなところがある可能性もないではないが、スカルラッティの音楽は「当時は~なんですよぉ」的な古式風の感覚を音楽そのものが否定してしまっている。「私は闊達な音楽そのものです」みたいな?ヴィヴァルディのヴァイオリン作品にも同様の弾け感覚を感じる。

今ではベートーヴェンよりもロッシーニは偉大・・・なんて言う人は誰もいないのかもしれないが、当時はイタリアの弾け文化を背負っていたロッシーニの人気は相当のものであったのではないかと想像する。その弾け文化を同じように引き継いだパガニーニにリストは惚れてしまったのだ。パガニーニが背負っていたイタリアに・・・

せかせかしたスピーディーな現代の感覚よりも、イタリア弾け音楽は、より闊達で人々のアドレナリンを呼び起こすようなものであったと想像してみるのも楽しい。

バッハやヘンデルが活躍していた時代、なんとなく「厳か」「厳粛」「昔風にゆったり」みたいなイメージさえ持ってしまいがちな時代に、イタリア弾け文化ではカストラートたちが活躍していた。カストラートそのものが途絶えてしまったし、彼らが歌っていた曲の多くは長い間封印されてしまっていたところもあるのだが、最近はそれらの秘曲も復活されてきている。最近はカウンターテナーの人も多くなってきているのも関係していると思うが、当時の弾け音楽を最もエキサイティングに再現してくれているのが、メゾソプラノのバルトリなのではなかろうか?彼女の声帯にはイタリア弾け文化が宿っている?

当時の声楽曲には、現代の歌手の喉では太刀打ちできないような闊達さ、敏捷性が求められているような気がする。いわゆる「アジリタ」という技術。バルトリが再現した音楽は、長い間、誰も歌うことができなかった種類の技術が含まれている。

馬車の時代、なんとなくバロック風に、なんとなく昔風にのんびりと・・・という図式とは正反対の弾けた文化がここには存在している。この闊達さにフランツ・リストは翻弄されたのではないか?

kaz




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