ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

カラス入門 

 

往年のディーヴァの歌唱としては、やはりマリア・カラスの歌唱を挙げたい。このブログでのカラス登場率は高くはないように思うが、むろん僕の好きな歌手だ。でもカラスは難しい・・・と思う時もある。僕自身はカラスの声を美声と感じるので、気にはならないのだが、ソプラノというイメージ、清らかな天使のような声・・・というものとカラスの声とやや隔たりがあるのかもしれない。少なくとも、非常に個性的な声であるとは思う。でも偉大な歌手って、一声だけで歌手の名前を当ててしまえるような声を持っているものでは?

声そのものの絶頂期を過ぎてもカラスは歌っていたので、その頃の歌唱はビブラートが気になったりする。このあたりは「悪声」などと言われる理由だろうとも思う。そう、ここが難しい。あまりオペラやカラスの知識なく、適当にCDを選んだりすると、「う~ん・・・あまり好みでないかも・・・」などという可能性がカラスの場合はあると思う。でもそんなところも歌は声だけじゃないんだ・・・などと僕としては思ってしまうんだけど。

カラスの偉業としては、役柄のキャラクターを聴き手に目覚めさせたということだろう。それまでは美しいピッコロのような声でコロコロと歌われていたキャラクターに人間の血と感情を与えた。「ルチア」の狂乱の場など、単なる技巧の見せ場ということを超え、カラスが歌うと、狂乱した女性の悲哀というところまでキャラクターを持ち上げてしまう。

非常に情熱的というか、感情豊かな歌唱に聴こえるが、スコアを見ながら聴くと、カラスは本当に楽譜に忠実な歌手だ。これは楽譜が要求していることを汲む才能が傑出しているのだと思う。並みの歌手であれば、美しい声でただ通り過ぎてしまうような箇所でも表現しつくす。音型の上り、下り、フレーズ処理、ブレスまでもキャラクター表現のための手段にしてしまう。音符の音程差の意味までも考えつくし、表現しつくしているソプラノなのだ。

そう、声は手段なのだ。

我々とカラスを同じように語ってはいけないのだろうか?実は僕はあまりそうは思わない。カラスの具現化した要素は演奏の基本であるとも思うからだ。実際の出来栄えは天才と凡人の差があろうが、同じ人間だ。つまり、ピアノでの難しいパッセージや跳躍、もっと大きく考えて、弾いている曲そのもの、それを弾くことが、弾けるようにすることが目的なのだろうか?もしかしたら日頃練習しているようなことは、目的ではなく手段なのかもしれない。じゃあ、なんのために練習しているの?目的は?

カラスの歌唱・・・グサグサと問いかけてくるような歌唱だ。「これが私の目的・・・」みたいな・・・

kaz




にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top