ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

指を動かす前に泣いてみよう! 

 

ヨゼフ・ホフマン著の「PIANO PLAYING」、読者の質問にホフマンが答える形に後半はなっているのだが、この部分は1901年から執筆されているのだそうだ。時代はまさにロマンティックの時代真っ只中だった。でも現代の多くの人の悩みと共通した質問もある。

Q:私は音楽がとても好きです。でも上手く弾けません。人前で弾くと特にそうです。一応皆は褒めてくれるのですが、でも私には皆は本当は私の演奏を気に入っていないということを感じます。母などは私の弾き方は「機械みたい」などと言います。私もそう思うのですが、どうしたら、こういう弾き方を変えられるのでしょうか?

A:あなたの友人やお母さんが、あなたの弾く音楽を理解できないということはありえます。もし、そうでないとしたら、あなたの悩みは簡単には解消されません。表現が欠けているのは、あなた自身に感情が欠けているのが原因だとしたら、あなたの悩みは直せません。そうではなく、もし感情の表現の方法が分からないということで、私はそうだと思っていますが、機械的になってしまうのであれば、あなたは直ります。すぐれた音楽家や音楽愛好家と交際することをお勧めします。よく観察し聴くことによって、彼らの表現方法を学ぶことができます。最初は表現をまねしてごらんなさい。やがて、あなた自身で「何かを言う」習慣がついてくるでしょう。外面的な変化がある前に、あなたには内面的な変化が必要だと私は思います。

上手くなる・・・これってどういうことだろう?難曲を流麗に弾くこと?それもあるだろうが、「あっ、素敵!」と聴いて感じた感情を表現できること、むしろ「上手い」とはこちらのことなのではないだろうか?趣味で弾いているのだから自分が楽しめればいい、そうかもしれないが、楽しみに「感じたことを表現できること」は、全く含まれないのだろうか?自分が感じた感情を、外に表現するスキル・・・これがあるからこそ楽しいのでは?その意味で、自分が楽しいという項目に「上手くなりたい」ということが全く入らないでピアノを弾くなんてできるのだろうか?

「エスニック料理講座でもフラワーアレンジメントでも何でも良かったんだけど、なんとなくピアノにしてみたの~」という動機でピアノを弾いている人って少ないのでは?何かしらの強い動機があったはずだ。それは音楽を聴いて感じた感情というもの、そのものなのでは?その感情を自分自身で感じたい、できれば他人と共有したい・・・だから時間を見つけて疲れていても練習する。

沢山の音符を再現することだけにエクスタシーを感じ、どんな音楽、どんな演奏を聴いても「別に・・・」としか感じないのだとしたら、ホフマンの言うように、それは感情が欠けているのだから、直せないものなのだろう。でも普通は違うよね?感情の表現の仕方が分からない・・・

泣ける演奏をいくつ持っているだろう?さすがに演奏会場で大泣きはできないけれど、自宅で一人聴き、涙することのできる音楽、演奏はいくつあるだろう?この感情がまず大切。ピアノの日々の練習計画の中に、「聴く→涙→そして再現」という項目を入れてみたらどうだろう?練習会やレッスンで弾く曲だけではなく、シンプルな曲で練習としての「鑑賞」を取り入れてみる・・・

「まねしてごらんさない・・・」

最初はまねでいいのだ。鑑賞者としての感情を、素直に鍵盤で再現してみる。まねてみる・・・

ドヴォルザークの「ユモレスク」・・・編曲、演奏はフリッツ・クライスラー。これってオリジナルはピアノ曲なんだよね。調号は沢山あるけれど、そんなに難しい、世間でいう「上級者用」の曲ではないように思う。

どうしても自分の演奏が「ラッタタッタ・・・うさぎのダンス~」みたいになってしまうのだったら・・・

「クライスラーのまねしてごらんなさい・・・」

kaz




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category: ピアノ雑感

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