ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

自分を知る。 

 

「もし命が今日で尽きるとしたら、今日やるべき予定のことを、あなたはしますか?」「もし命が一ヶ月後に尽きるとしたら、それまでに、あなたは何をしたいですか?」

大病を患った経験のある人は、このようなことを一度は考えてみるのではないだろうか?でも大病を患った人だけが、いつの日か死ぬわけではないから、この種の問いかけを自分にしてみることは、誰にとってもいいことのように思う。

これが難しい。「私・・・いったい何をしたいのかしら?」となってしまう人が意外と多いらしい。二つの理由があるという。一つは自分自身のことって分析するのが難しいのだ。意外と自分の真の姿、願望って自分で気づいていない。二つ目は、世間で常識とされる幸せな生き方というものに、どこか捉われているということ。一流企業に就職し、安定した人生を送るとか、幸せな家庭を築く・・・とか。むろん、大切なことだから世間での常識になるのだろうが、それと自分の願望との一致が成されていなければならない。ここが難しい。

もし一ヶ月の命だったら・・・と真剣に考えた場合、今まで自分が信じていた幸せの価値観、常識的幸福というものは、スルッと落ちてしまうことが多い。なので「私・・・本当は何をしたいの?」となってしまう。

仕事を通して自己実現していく、この場合、その仕事ができなくなったら、どうするのか?幸せな家庭を営む、この場合、愛する子どもが、家庭にではなく、社会に目を向け始めたら、つまり巣立っていったあと、あなたは何を生きがいに生きていくのか?

意外と自分のことって分からないものだ。考えたこともない・・・というか。

「私ってすごく保守的で差別をする人間だと思う」本当にそのように自覚している人は少ないと思う。多くの人は差別というものに反対という考えを持っているだろうと思う。たとえば、同性同士の結婚とか・・・

別に反対というプラカードを持って行進するつもりもない。別にその人たちが幸せならいいのでは?そんな…差別なんてしないわ。このように感じている人が多いと思う。では次のような場合だったら?自分を知るという意味でも考えてみる価値はあると思う。

「ねぇ、今度Aちゃんの家に泊まりに行っていい?」「新しいお友達?」「うん、そうなの。Aちゃんってお父さんがいないんだって」「まあ・・・可哀そうに。お父さん亡くなったの?病気か何か?」「ううん、違うの。Aちゃんはママが二人いるの」「えっ?どういうこと?よく分からないんだけど?」「Aちゃんのご両親はレズビアンなんだって」「えっ???」「ねぇ、Aちゃんの家に泊まりに行ってもいい?」

さあ、どう答えるだろう?「それはダメ。病気がうつるでしょ?」こう答える人は少数派だろうと思う、というか願う。「まあ!素晴らしいことじゃない?Aちゃんも今度泊まりにくるように言いなさいよ?」これも残念ながら少数派なのだろうと思う。多いのは「あまり気軽に人の家に泊まったりするもんじゃないわ」とやんわり否定派なのではないかと予想する。どうだろう?

自分が当たり前のこととして信じている価値観と異なるものと遭遇したとき、それを受け入れるって本当に難しいものだ。まずは「何故自分はそう思うのだろう?」と自分を探ってみるのもいいのではないか?

kaz




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