ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

「スペイン奇想曲」 

 

ヨナス・カウフマンのCDを聴く。オペレッタのアリア集。とても素晴らしい声で文句もない感じではあるが、やや立派すぎという印象を受ける。巧妙に軽さを表出しようとしていて上手だなと思うが、これらの作品を集めて歌うという必然性があまり感じられないというか?プッチーニでもヴェルディでも良かったのでは?

空中に歌声が軽やかに飛翔し、それに酔うという幸福感が得られない。カウフマンはやめて、ニコライ・ゲッダのオペレッタ・アリア集を聴きなおす。こちらは絶妙だ。しばし幸福感に酔う。

この感覚はピアノを聴いた時にも味わうことが多い。現代のスターピアニストを聴いて、むろん文句はないし、立派な演奏なのだが、軽やかな飛翔がない。音が空中に広がっていかない感じなのだ。今回のゲッダのように、古いピアニストの演奏を聴きなおしたりする。そして酔う。

簡単に言えば、僕は声楽家にしろピアニストにしろ、ヴァイオリニストにしろ、昔の演奏家が好きなのだ。個人的に、昔の演奏家で昇天してしまう理由は二つあるように思う。

ディテールの違いというのだろうか?ピアノならば、内声の普通だったら思いもよらない箇所で微妙な強調があったり、音型は上向していて普通だったら自然と盛りあげていく箇所でも、急にピアニシモにしたりして、聴き手のテンションを一気に集めてしまうとか、和音を分散にして絶大なる効果を出すとか・・・

つまり普通だったら、スッ・・・と通り過ぎてしまうところの微妙な強調が巧みなのだ。

もう一つがタッチの軽さだろうか?常に感覚的な浮遊感がある。コロコロ・・・みたいな?バリバリではなく。この二つの魅力が微妙に混合されて、夢のような演奏が繰り広げられる・・・

まぁ、人それぞれの好みでしょうが。

往年のピアニストたちが好んだレパートリーで、現代ではあまり弾かれない曲というものは多い。来月弾くモシュコフスキの「スペイン奇想曲」などもそのような曲の一つだと思うが、このような曲が演奏されなくなった理由は、おそらくリサイタルの曲目の変化というものがあったからだと思う。ザハリヒな流れもあったのだろうと思うが、小品を盛りだくさんというサロン的プログラムよりは、大曲を・・・というプログラムが中心になったからではないかと思う。シューベルトのソナタが普通にピアノリサイタルで登場するなんて、割と最近のことなのでは?

あとは、これらの曲は往年系のピアニストたちが得意とした、ディテールの強調、さらにはタッチの瞬発さからくる音の軽さみたいなものが、上手く具現化されないと、なんとも様になりにくい種類の曲なのではないか?なので廃れてしまった。ピアニストの方向性、傾向が変わっていったことも関係していると思う。

「スペイン奇想曲」の優れた往年系の演奏は結構あるように思うが、その中でも傑出しているのがヨゼフ・ホフマンの演奏なのではないかと個人的には感じる。ホフマンは少年の頃、モシュコフスキの教えを受けているということもあろうが、指のアジリティ、闊達で軽い動きもそうだが、思わぬ箇所の微妙な強調も凄い。指のコントロール力というのかな・・・

まぁ、このあたりも人それぞれの好みでしょうが。

弾くのは約一ヶ月後のサークルで。譜読みはなんとなくできてきたかな、という感じだが、なんとも無様な出来栄えだ。この曲を弾く意味が全く自分の演奏からは感じられないというか?例年だったら、もっと気楽に弾ける曲を弾いてしまうところだが、今年からは逃げないで、一ヶ月間はホフマンを追ってみようと思う。まぁ、追うのは自由だから・・・

kaz




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