ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

私的フィギュア世界 7 

 

フィリップ・キャンデロロ選手。彼が活躍していた頃から20年の歳月が流れたのか・・・

彼の演技を初めて観たのは、1993年の世界選手権。テレビで観戦したのだが、彼は上位入賞していて、絶対に演技を観たはずなのだが、覚えていない。1994年のオリンピック、この時の「ゴットファーザー」は非常に強く印象に残っている。ちょっと普通のスケーターとは違っていた。オリンピック後の世界選手権は日本で開催されたので、会場で観戦した。日本の佐藤有香選手が優勝した年だ。

キャンデロロ選手は、非常に人気のある、特に女性ファンが多かった選手で、「黄色い歓声」というのも、この頃が始まりだったのではないだろうか?

優勝は、たしかカナダのエルビス・ストイコだったと記憶している。多くの人は会場で「キャンデロロの方がよかったよね?」などと言っていた記憶がある。でも、スケーティングスキルという点で、僕はストイコの方が格段に勝っていたように感じたので、やはりストイコの金メダルは妥当な感じがした。

スケートの技術、この場合、難易度の高いジャンプを跳ぶということだけではなく、ジャンプを跳ぶ前後の流れの美しさとか、スケートの伸びとか・・・そのようなことまで含め、僕はキャンデロロよりもストイコの方が優れていると感じた。会場で観戦すると、そのような基礎的スキル技能までよく見えるのだ。

「ストイコは技術では上だったけど、表現力ではキャンデロロだよね?」このような声も聞えた。たしかに・・・

でも、スケートの演技の表現って、技術と切り離せないところがある。完璧にエレメンツをこなすと、それだけで美となりうるところがある。技術と表現とは切り離せるものなのだろうか?たしかに単純に考えれば、「ジャンプを失敗したけど表現力のある演技だった」ということはあろう。でもジャンプの質とか、スケーティングの質にまでになると、どこまでが技術の範囲で、どこからが表現の範囲になるのか、かなり曖昧になるのではないだろうか?

この疑問は、ピアノ演奏でも感じることがある。「技術的には完璧なんだけど、表現に乏しい・・・」のような言い方、技術的に完璧でないから表現不足に聴こえるのでは?表現ってなんとなく技術とは別に「付け足す」ものではなく、技術と密接に結びついているものなのでは?

キャンデロロ選手の技術が稚拙だったわけではない。両者を比較すると・・・ということだ。

ただ、純粋なるパフォーマンスとしてみると、この「ゴッドファーザー」は非常に魅力的だ。

このあたりもピアノ演奏に通じるところがあるように思うが、スキルに合わせて表現をする、とか滑る・・・のではなく、まずは表現したい爆発するほどの欲求があり、キャンデロロ選手の場合は、それが、たまたまフィギュアスケートだった・・・

これはそんな演技に思える。

kaz




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category: The Skaters

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