ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

汗のない「ラ・カンパネラ」 

 

「昔のピアニストの何がいいんですか?」などと、たまに訊かれる。個人的には、汗とか労働を感じさせない演奏、基本的なタッチ感が軽めで、コロコロ・・・という真珠の連なりみたいな質感に惹かれる。もちろん、ロマンティックな演奏の方向性も。現代の人のタッチは、真珠というよりは、鋼鉄の連なりのような?バッチリどの音も揃ってはいるのだが・・・

まぁ、好みの問題と言ってしまえば、そこで終わってしまうのだが・・・

汗を感じさせない演奏、これには楽器も関係しているように僕には思える。僕などが「わぁ・・・弾きやすい」と感じるピアノは、反応がよく、鍵盤も重くもなく、軽くもなく、どちらかと言えば軽め・・・みたいなピアノだ。サークルなどでも、このようなピアノは重宝されるのではないかと思う。メジャーなコンクールなどでも、ピアノの選定に関しては、コンテスタントたちも同じようなピアノを選ぶのではないかと想像する。「誰でもが弾きやすいピアノ」っていいピアノなんだろうが、このようなピアノの場合、タッチポイントの幅が広いのではないかと思う。タッチポイントとは、僕の造語なのだが、タッチして自分の希望の音色の幅がコントロールできる範囲みたいなものだ。あまりにこのタッチポイントが浅いと、弾き手は「すぐに鳴ってしまう」と思うし、深めだと「なんだか重いピアノだな」などと感じるのだと思う。誰でもが弾きやすいピアノは、このポイントが浅い所から深い所まで、幅が広いのだ。親切なピアノと言ってもいいだろうと思う。大雑把なタッチで弾いても、ある程度の満足感を与えてくれる、過保護ピアノ?でも弾きやすいんだよね。

タッチポイントが浅目で、幅が狭く、非常に繊細な感覚の求められるピアノ、割とアンティーク系、猫足系の外国製ピアノに多いような気もするが(むろん調整とかにもよるだろうが)、このようなピアノは、大雑把、かつ凡庸なタッチの持ち主などが弾くと、「うわっ、鳴りすぎ、全部がフォルテになってしまう」とか、気をつけて弾こうとすると、今度は「あれ、音が鳴らない」とスカッと音そのものが抜けてしまったり。このようなピアノでサークルなどを行うと、きっとメンバーからは「なんなの、このピアノ弾きにく~い!!」とか「こんなピアノじゃ無理~」みたいな声が頻発するだろうと想像する。

コントロールできる範囲、タッチポイントが浅く、かつ狭い繊細なピアノは、僕のようなものが弾くと、非常に弾きにくく感じるが、タッチ感覚、色彩感覚の鋭い卓越した人が弾けば弾きやすいピアノになるのだろうと思う。往年のピアニストたちは、僕などが想像できないほどの敏感なタッチ感覚を持って音として具現化していたのだと思う。そのような感覚を持っていれば、浅目、かつ狭い範囲で音を自在に鳴らすことのできるピアノが弾きやすかったのだろう。

最小限の動きで、効率的に曲を演奏することができた・・・往年のピアニストの演奏から、労働とか汗を感じないのは、この楽器の性質からくる「最小限省エネ奏法」も関係しているように思う。

残念ながら、往年系のピアニストの演奏って映像では確認できない。さらにローゼンタールとか、ホフマンとか、まずはある程度高齢になってから録音というものが普及したので、僕などが、うっとりと聴いているローゼンタールの演奏などは、「えっ、75歳の時の演奏?」みたいなことにもなる。それはそれで満喫できるが、全盛期の頃の演奏ではないというのは確かだ。

ミケランジェリの若い頃の演奏などは映像化されているし、ホロヴィッツの演奏も映像で見る(聴く)ことはできる。でも、ホロヴィッツの場合、演奏している曲が絞られてくる。

グリゴリー・ギンズブルグというピアニストは、1904年生まれと、割と往年系では若い(???)世代の人なので、かろうじて彼の演奏は映像で確認できる。名教師ゴリデンヴェイゼル門下のピアニストだ。4歳からピアノを始めるのだが、父親が亡くなってしまい、家が没落してしまう。ゴリデンヴェイゼルが幼いギンズブルグに対して我が子のように接し、ピアノを教え続けたのだそうだ。

割と超絶系と歌謡系の演奏のバランスの取れた人という印象を持っていたが、ロシア人ということで、もっと大柄な人かと思い込んでいた。ベレゾフスキーみたいな?トリフォノフとか?でも小柄な人なんだねぇ・・・

演奏しているのは「ラ・カンパネラ」・・・まず感じるのが、弾いている姿が現代のピアニストと比較して静かだということ。音を聴かなければ、鍵盤を見なければ、なにかバロックの小品でも弾いているかのようだ。でも、これが往年系のピアニストの特色だったようにも思う。最小限の労力で、労働を感じさせず、浅い敏感なポイントを狙う・・・

静かな動かない演奏姿、労働や汗を視覚的にもサウンドとしても感じさせない。これが往年系の魅力。演奏そのものは軽さを伴った「花火」みたいな?

反対になってはいけないのだ。演奏する姿が「花火の打ち上げ」みたいで、サウンドからは汗と労働が感じられる・・・ではいけない。また、それを追ってしまう美意識を持ってもいけない。

kaz




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