ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

スティーヴン・ハフを聴こう 2 

 

スティーヴン・ハフは基本的には楽譜指示からの逸脱はなく、楽譜に忠実に演奏しているのだそうだ。まれに楽譜に書かれていないように演奏している箇所があったとしたら、そこは自分で推敲を重ね熟考した結果そうなったと思って欲しい・・・とも言っている。楽譜を見ながらハフの演奏を聴いたりしていたのだが、たしかに楽譜からの安易な逸脱はない。でもどの演奏からも「ハフらしさ」のようなものは感じる。

ハフは尊敬するピアニストとしてイグナツ・フリードマンを挙げている。ここが謎だったのだ。フリードマンと言えば、往年系演奏の代表的なピアニストだ。テンポ揺らしなど、現代若手ピアニストの演奏に慣れてしまった耳からは、非常に自由自在に聴こえる。少なくとも、「お手本にしてはいけませ~ん」という演奏なのではないかと思う。楽譜に忠実?なのに自由自在なフリードマン?

もしかしたら楽譜に忠実ということは、楽譜に書いてあるように弾く・・・という解釈そのものが大雑把すぎるのでは?

フォルテと書いてあるから強く弾きましょう・・・などという単純なことでもないのでは?バレンボイムやハイドシェックが指摘するように、相対的なものとして楽譜を認識する必要があるのでは?記号には強弱というそれだけではなく、エネルギーが増大していったり縮小したりというものまで、その意味に含まれているとしたら?

「フォルテ」・・・強く弾きましょう・・・ではなく、何らかのエネルギーを感じさせましょう・・・みたいな?ピアニシモと書いてあったら、ただ弱くしましょう・・・ではなく、そこには秘めたエネルギーを潜ませるとか、静謐さを緊張感で表すとか、そのような効果を期待されているのでは?

~で弾く・・・ではなく~と聴き手が感じる効果を考えなさい・・・みたいな?

もしかしたら、一見(一聴?)楽譜に書いてあることを守って弾いている演奏が忠実な演奏でもないのかもしれない。強弱は楽譜の指示を守っていても、効果として変化に乏しい演奏(こういう演奏が多いが)だとしたら、それは楽譜に忠実とは言えなく、楽譜の読みが浅いのかもしれない。一応楽譜どおりに弾いていても・・・

ハフとフリードマンの演奏を楽譜を参考にしながら、同じ曲で聴き比べてみると非常に興味深い。演奏そのものは違う。弾いている人間が違うから演奏が違うという感じ。でも楽譜には忠実であるように、どちらの演奏からも感じる(ような気がする)。

そのようなことを考えると、導入においての「読譜」と「表現」の指導というものは、非常に難しいものであると考えられる。「そこはピアノ、そこはフォルテ、変化をつけましょう」「ピアノなんだからそこは弱くね」だけでは不十分だということになる。強く弾く、とか、だんだん弱く弾く・・・ではなく、その楽譜指示にある隠れた効果、本当の意味を生徒に伝授しなければならないわけだから・・・

ハフの演奏って汗を感じさせない。熱演、爆演という感じではない。グワーッという技巧ではない。割と往年のピアニストのように、「いかにも軽く簡単そうに」弾いてしまう。そこが魅力だと思うのだが、物足りないと思う人もいるのだろうか?

往年のピアニストは、割と音楽以外の学問にも精通している人が多い。なんとなく哲学を修めた人が多いようにも思う。また自ら作曲をしたり編曲をしたりする人も多い、というか、昔はそれが普通だった。スティーヴン・ハフは音楽院出身だが、実は画家でもある。また作曲家でもある。このあたりも往年系との共通点を感じたりする。

楽譜の解釈とか、演奏そのものとか、現在主流の流れ、教育って、どこか硬直していないだろうか?

kaz




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