ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

スティーヴン・ハフを聴こう 1 

 

昨年は、スティーヴン・ハフが日本公演を行ってくれた。でも欧米での彼に対しての評価と、日本のそれとでは、かなり隔たりがあるように思えてならない。彼ほどのピアニストであるならば、会場もせめてサントリーホールの大ホール、東京だけではなく各都市も演奏して周っていただいて、リサイタルだけではなく、コンチェルトも全国でもっと弾いて頂きたかった。

実際は東京でのリサイタルとN響との共演だけで、あっさりと(?)次の公演地に旅立ってしまった感がある。N響とはリストの1番を共演しているが、なにしろ20分程の曲、リサイタルは銀座のヤマハホールという割とこじんまりとした会場ということもあり、「えっ、これで日本公演終わりなの?」みたいな印象があった。演奏曲はハフが弾きたかったものだと思うし、会場も親密感のようなものをハフが重視した結果なのかもしれないが、ファンとしては「もう行ってしまうんですかぁぁぁ」みたいな想いはどうしても残る。毎年来日してくれるわけでもないしね。日本にも「ハフ依存症?」みたいなファンは存在していて、外国まで遠征してしまうファンもいたりする。

おそらく、日本一般的ピアノファンが「これぞピアノ演奏!」と感じるものと、ハフの演奏とは多少の距離があるのかもしれない。例えば、ラフマニノフ。超優秀有名音大の卒業演奏会などで、ラフマニノフは非常によく演奏される。その演奏は、楽観的、かつ好意的に解釈するならば、ゴージャスな演奏、率直に解釈するならば、音の混乱状態・・・という演奏に聴こえてしまう。たしかにラフマニノフの曲って音が多い。真っ黒楽譜だ。でも楽譜に忠実とか、きちんと弾くということを、どこか優秀音大生たちは、一面でしか捉えられていないようで、全部の音を同じように弾いてしまうように思う。それが、どこか日本人好みの熱演、爆演、汗演というものと結びついてしまう。聴衆もその汗、スポーツ的快感に酔ってしまうというか?「凄~い!!!」みたいな?

そのような熱っぽい、どこかハリウッド的ラフマニノフ演奏と反対に位置しているのがハフの演奏なのではないかと思う。どこかスッキリとしている。このカオス魅力でないラフマニノフ演奏、実は作曲家自身がそのような演奏をしている。ラフマニノフの自作自演のコンチェルトはCDで聴くことができるが、この演奏が巷の豪華ラフマニノフとは著しく異なるのだ。スッキリ?余分なものがない?

ハフのラフマニノフ、ピアノコンチェルト全集のCDの演奏はラフマニノフ自身の演奏と方向性は似ているような気がする。でもこのあたりが日本人の好みとは微妙に合わないのかもしれない。スコアを研究した結果、余分なセンチメンタリズムを排除した、高速ラフマニノフになった、それは作曲家自身の演奏と通じるものになった・・・とハフ自身は語っている。

楽譜にある音、記号をそのまま単純にサウンド化してしまうと、ラフマニノフの曲は音のカオスとなってしまうような気がする。甘いセンチメンタルな、かつハリウッド的豪華さのあるラフマニノフ。どこか混沌としてしまい、それがラフマニノフなのだ・・・みたいな?

動画はハフの「パガニーニラプソディ」の一部。多くのラフマニノフを弾くピアニスト、あるいは優秀音大生と比較して、気づくことはないだろうか?それは打鍵の位置が低めだということ。つまり椅子が低い。肘と鍵盤がほぼ同じ位置にある。これって一般的ラフマニノフの演奏と異なるような気がする。ラフマニノフに限らず、超絶豪華系の曲って、椅子の位置を高めにし、腕の動きまでも多用して演奏するのが一般的なのではないかと思う。和音も広いし、多いし、跳躍も多いから。ピアノに覆いかぶさるような感じだろうか?そのように弾くと、たしかに身体的には楽に弾けるが、音の粒だちに欠けるという欠点がある。ハフ、そしてラフマニノフ自身も、絢爛豪華さというよりは、音とか曲に「クリアネス」というものを求めたのではないか?そんな風にも感じたりする。

ハフの演奏って、「ロマンティックな演奏って?」「モダンな演奏って?」「本当の超絶技巧って?」「テキストをよく読むって?」みたいなものを日本のピアノ学習者、指導者に突き付けてくるような厳しさがあるのかもしれない。

kaz




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