ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

奇跡の人 

 

演奏前、極度に緊張すると、僕の場合は音が聴こえ難くなる。ほぼ聴こえない時もある。人によっては気分が悪くなったり、悪寒を感じたり、眩暈がしたり、身体が冷え切ったりと、症状は異なるが、何らかの身体の変調はあるのが普通なのではないだろうか?平常心のまま、何の高揚感も緊張感もなく、冷静に練習の時と同じように弾き切ってしまうというのも、なんだか恐ろしい人のような気がする。人間は緊張するものなのだ。それが普通・・・

でも音が聴こえないと困るのも事実だ。まず暗譜に支障が出てくる。暗譜は手の動きというか、筋肉が動きを運動として記憶するという面がある。むろん、視覚的な暗譜も必要だろうし、あまりに筋肉の動き、記憶に頼るのも危険ではあるだろう。でも暗譜って総合的なもののような気もする。音が聴こえないと、和声やメロディーの進行を本番中、自分では実際には確かめられないから非常に困るのだ。

実際に耳栓でも使用してピアノを弾いてみれば僕の言っていることも理解できるのではないだろうか?電子ピアノだったらボリュームをオフにして弾いてみるとか。緊張した状態で音に頼れないとなると、鍵盤位置の記憶、自分の手、筋肉の記憶に大いに依存することとなる。結構演奏中のスリルは満載だ。止まったら終わりだしね・・・

「どうしてこんなことに・・・」

・・・と自分をド~ンと落としてもいいのだが、それで問題が解決するわけでもない。舞台上でも、ある程度強引に(多少聴こえなくても)弾いていれば次第に音は聴こえてくることが多い。つまり落ち着いてくるのだと思う。だとすれば、最初に演奏する曲を吟味というか、厳選すればいいわけだ。印象派の曲のようにコロコロとハーモニーが移ろってしまう曲は非常に難しい。ある程度「動きのパターン化」のある曲が弾きやすいのではないかと今は仮定している。音が聴こえない場合を想定して曲選びをすればいいわけだ。今までは、そのあたりの努力を怠ってきたようにも思う。僕でも「メリーさんの羊」だったら、音が聴こえなくても、暗譜が真っ白になってしまわない自信はある。でも「メリーさんの羊」を弾くわけではないのだ。

そんな僕にとって、朗報があった。ピアニストのデ・ラローチャは、加齢により、ある時期から、音が高く聴こえてしまっていたそうだ。むろん、若い頃は大丈夫だっただろうが、ある年齢からそうなっていたらしい。ハ長調の曲がニ長調に聴こえてしまう。絶対音感が皆無であれば、音が高く聴こえてしまうという実感さえないのだから、別にいいのかもしれないが、デ・ラローチャはもちろん絶対音感を持っていた。

同じような問題を抱えてしまったのがリヒテル。彼の場合も、ある時期から、一音高く聴こえてしまったらしい。リヒテルにも絶対音感があった。楽譜と聴こえてくる音とで差異があるので、自分の耳を頼りにすると、無意識に移調したくなってしまう。これでは暗譜で演奏していくのは困難だ。リヒテルは、ある時期から暗譜そのものをやめてしまった。暗譜で演奏しなくなった、彼なりの考えは色々とあっただろうが、聴覚の問題も関係していたのではないだろうか?

楽譜を見てしまう、暗譜そのものをやめてしまう・・・音が聴こえなくなっても弾けるであろう光は見えてくる。

でも、デ・ラローチャは生涯暗譜で弾いていた。どうしてそんなことが可能だったのだろう?音が聴こえなくなってしまうことよりも、一音高く聴こえてしまうほうが、非常に辛いような気がする。絶対音感の記憶が残っているから、自分がドと思って、想定して鍵盤を押すと、レ・・・と聴こえてきてしまう。鍵盤位置の関係が目茶目茶になってしまわなかったのだろうか?僕だったら絶対になると思うな。確実にハ長調を弾いているのに、自分にはニ長調サウンドに聴こえている・・・これは厳しいのでは?

でもデ・ラローチャはやったのだ。できたのだ。これは朗報だ。むろん、デ・ラローチャと自分を同じところで語るということに対して、「才能が違うだろう?努力の量が違うだろう?」とは当然思うが、朗報であるのは事実だし、そこに頼りたい気持ちはある。

デ・ラローチャの場合、幼少の頃からの訓練によって完全に指というか、筋肉の動きというか、そのようなもので弾けたのではないだろうか?でなければ、コンチェルトなんて絶対に弾けないと思う。自分の音を遮断してしまうことができないわけだから。

人間には想像力というものがある。これを活用すればいいんじゃないか?電子ピアノの音を無音にして、タッチ感覚とペダル感覚だけで、音を頭の中で鳴らしてみる。そのような練習を重ね、このようなタッチでこのような音、響きが可能と自己想定できるラインまで持って行く。そしてサークルの練習会などで、いきなりスタインウェイで実践してみる・・・

このあたりを楽しんでできることが来年の課題かなぁ・・・

もっとも、デ・ラローチャの場合は、聴覚の問題を抱える以前から、小柄で、手も小さな彼女が「弾いている」という事実だけでも驚異的なことなのではないかな・・・などとも思う。彼女の演奏で「今ひとつ」という演奏は一つもないような気がする。

kaz




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