ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

明日が見えないとき・・・ 

 

イジメを受け、最後の選択をしてしまう子どもたち、その選択をしてしまう前に周囲は何かできなかったのか?そもそもなぜ誰にも相談せずに自殺などしてしまうのだろう?

教師や親などに相談すると、さらにイジメが酷くなる・・・そう思ってしまうのかもしれない。イジメを目撃して、心を痛めている子どもだっているだろう。でも怖いのだ。もし告げ口して、今度は自分がイジメの対象になったら・・・と。それにしても、なぜ親にさえ相談できないのだろう?

もしイジメの対象の子どもがゲイであり、その個性によりイジメのターゲットになっているのだとしたら?もしその子どもがイジメの暴力だけでなく、自分の性的指向でも悩んでいたら?「僕はなんで普通じゃないんだろう?異常なのかな?皆が言うように変態なのかな?変態だから皆が僕を嫌うんだ。僕がいなくなってしまえばいいのかな?」

最近は先進国(残念ながら日本は入っていない)では同性婚が認められている。そのようなニュースが流れた時、子どもの前で「素晴らしいことじゃない?」と言えればいい。「なんで変態たちの言い分が通ってしまうの?日本もそうなってしまうのかしら?」などと言ったら、ゲイの子どもは傷つく。そして親を信用しなくなるだろう。「きっと両親は僕のことを理解してくれないだろう。僕は変態なんだから」そう思うだろう。

そこまでではなくても、そして親が悪気もなく無意識で言ってしまった言葉でも子どもは傷ついてしまう。「誕生日のプレゼント、サッカーボールにしようか?A男もスポーツぐらいやったほうがいいんじゃない?」「でも・・・僕裁縫セットの方がいいかも・・・」「男の子なんだから、もっと違うものにしたら?」「そ・・・そうだね・・・」このような小さなことが重なり、子どもは自分の性的指向からくる個性、自分らしさというものを認められなくなっていくとしたら?

「まあ、裁縫セット?普通っぽくなくていいじゃない?人と違うって素晴らしいと思うし、裁縫セットにしましょう」と親がもし言えていたら、子どもは最後の選択の前に親に相談してきたかもしれない。精神的に頼ってくるかもしれない。人と違うという異質なものを個性として認めてくれる親だったら・・・

むろん、イジメの対象になるのが全員ゲイの子どもということもないだろうが、「人と違う」「どこか変わっている」という要素があると、イジメの対象になりやすいのかもしれない。

「あいつ変わってるよな?変だよな?」

自分の親までもが、性的指向を含む自分の個性を認めてくれないとしたら、子どもに自尊心が育まれていきにくいような気がする。人間、辛いことがあっても進んでいけるのは、自尊心があるからではないだろうか?自分に対しての誇り・・・

ここが拒否されてしまうと、前に進んでいけない・・・

日本でイジメの報道があると、責任追及みたいなモードになりやすい。「学校は?教育委員会は何をしていた?担任は?親は?」その部分も大切だろうが、もっと根本の部分が流されてしまっているように思えてならない。「なぜ相談できなかったのだろう?自尊心は?変わっているということは個性ということなのに、社会がそのような風潮になっていないのでは?」のようなことが流されてしまう。

「It Gets Better」(今よりもきっとよくなるから)

数年前からアメリカで起こった運動のようなものだろうか?今ではその動きがカナダやヨーロッパ諸国にまで広がっている。人気歌手のような有名スター、俳優、政治家などの個人、さらには自治体や大学や企業などが、動画のメッセージをイジメの対象になっている子どもたちに送るという動きだ。むろん、各々によって表現は様々だが、すべてのメッセージに共通したものがある。

「今は辛いだろう。でも自殺だけはしないで。きっと状況はよくなるから。僕たちも同じような経験がある。君たちと同じような思いをしてきた。高校を卒業すれば変わるさ。絶対に。イジメをしている人の言うことなんか信じてはいけない。君の素晴らしい個性を認めてくれる人、認めてくれる世界はきっとある。だから、今は辛いだろうが耐えて欲しい。それが凄く辛いことなのは知っている。でも耐えるんだ。素晴らしい世界で僕たちは君を待っているから・・・」

この動画はジョエル・バーンズという人のもの。テキサス州フォートワース市の議員みたいだ。市議会での演説で、子どもたちにメッセージを送っている。

kaz




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