ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

男の女心 

 

叔父のドーナツ盤を整理がてら聴いていて、叔父が最後に買ったレコードが西島三重子の「池上線」だと分かった。シングル盤として発売されたのが1976年だから、叔父が亡くなった年だ。叔父が自分で買ったものなのか、誰かに買ってきて貰ったのかは分からない。その頃は叔父は骨と皮のようになっていて、自分の死期が近いことも自覚していたようにも思う。

叔父はドーナツ盤の歌詞カードにコードを書き入れている。この行為は聴くだけの目的でレコードを購入したのではなく、自分の新たなレパートリーにするために購入したことを表している。でも、あの頃の叔父の状態では仕事は難しかっただろうと思うし、実際に叔父の日記に仕事に関しての記入はない。「池上線」のシングル盤の発売から一か月半後に叔父は病院で亡くなっている。叔父は復帰を信じていたのだろうか?その頃の日記にはよくこう書かれている。

「ただ空を見ている・・・」と。

叔父が女性歌手の曲に興味を持ったということも珍しい。でも考えてみれば、叔父の主要レパートリーであったムード歌謡は男性歌手が女性の言葉で女性の心を歌ったものも多い。叔父としては違和感はなかったのかもしれないし、ムード歌謡自体が当時でさえどこか衰退していたところがあったと思うので、当時の新曲をレパートリーに入れようと思った際に女性歌手の曲の中から選んだとしても不思議ではないような気はする。

「池上線」を作曲したのは、この曲を歌った西島三重子。作詞は佐藤順英という人だ。この曲の歌詞は作詞者である佐藤氏の実体験、実話なのだそうだ。彼はアメリカの大学に留学していて、恋人とは遠距離恋愛となった。まだ若かったのだろう。愛というものを永遠だと思っていたのかもしれない。恋人から手紙がくる。「私・・・もうあなたを待てない・・・」

佐藤氏は二人の関係を修復するために帰国する。でも二人の関係は戻らなかった。

「話すこともなく、池上線の電車のなかで立つ。池上線は駅と駅との間隔が短いので、いくつ駅を過ぎたのか分からなくなる。彼女に訊ねる。彼女から返ってきた言葉は“ごめんね”だった。泣きそうになる。白いハンカチを握りしめる。駅を出る。商店街を抜け踏切を渡る。そして自分の気持ちを告げるのだ。“待っている”と。彼女は何も言わずに抱きしめる。去って行くうしろ姿が涙で見えなくなる」

このような内容の歌詞だ。僕は男性の心を表した歌詞として、決して女々しいものとは感じない。心に男も女もないように思うし、強さしか見せられない男は人間としては弱いのだ。

その女性は別の相手と平凡かもしれないが、幸せな結婚をしたという。佐藤氏は今でも独身なのだという。

フルーツショップだけが明るい商店街、踏切・・・この駅は実際の池上駅なのだそうだ。フルーツショップは現在ではKFCに変わっているらしい。

ネットも存在しなかった当時、「池上線」の歌詞のことを叔父が調べていたとは思えない。なのでこの歌詞内容が男性の実体験に基づく実話だということも知らなかったと思う。

でも女性の心を歌った曲だと感じたのだろう。なので歌いたかった。実際には歌えなくても・・・

叔父はこうも思っていたのかもしれない。「うん、これは男にだってありうる世界なのだ」と・・・

kaz




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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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