ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

人気と実力 

 

大昔のことだ。僕が中学生か高校生の頃だったように思う。マイケル・ポンティというピアニストの演奏会を聴いた。彼はアメリカのヴォックスというレーベルに多量のリコーディングをしていた。全集ものが多かっただろうか、今ではそう珍しくもないが、ラフマニノフやスクリャービンのピアノ曲全集など、当時は話題になったような気がする。全集ものの他に、例えばモシュコフスキの協奏曲など、当時は(今でも)ほとんど演奏されない曲を世の中に紹介をもしていた。ポンティのレコードは廉価で求めやすかったように記憶している。とても過酷な条件で録音していたらしい。

「知られていない曲にだって素晴らしい曲があるんだ。それを紹介できて僕は嬉しいんだ」とポンティは音楽雑誌などで語っていたように記憶している。来日時の演奏会でポンティは割と有名な曲を演奏していたように思う。「誰も演奏しない曲」=「マイケル・ポンティ」という図式が当時はあったように思うので、意外な感じだったが、その頃は「そろそろ自分が心から弾きたい曲も演奏したい」ともポンティは語っていたので、日本でそれを実現したのかもしれない。

ポンティのリサイタルは東京の中央会館という会場で聴いたように記憶している。当時はこの会場でよく演奏会が催されていた。結構大きなホールだったように思うが、ポンティのリサイタルはガラガラだった。15人くらいしか集まっていなかったのではないだろうか?舞台に登場したポンティも客席の閑散ぶりに「ワーオ?」みたいな驚きの表情をしていたように思う。プロだから当然だとも思うが、聴衆が少ないからといって手を抜くなんてことは彼はしなかった。ポンティの熱演を独占状態で聴けたのは嬉しかったが、気の毒にも思えた。「なんでこれだけの演奏をするピアニストのリサイタルにこれだけしか集まらなかったのか?」とも思った。

当時の僕はピアノなんて弾いていなかったけれど、楽譜を持参していた。鑑賞用に楽譜類は集めていたのだ。客席で聴いていた人のほとんどが楽屋を訪れたように思う。それは「せっかく日本に来てくれて、ここまで素晴らしい演奏をしてくれたのに、聴衆があまりにも少なくて申し訳ない。でも日本にもあなたのファンはいるのですよ」という気持ちからだったように思う。

ポンティは僕が差し出した楽譜にサインをしてくれた。「おお・・・モシュコフスキ???」

彼は僕と握手をし、立ち上がり、なんと強く抱きしめてくれた。おそらく僕を熱心にピアノを学ぶ学生と思ったのではないだろうか?マイケル・ポンティは現在でも存命だ。しかし脳梗塞を患い半身不随だ。もうポンティの演奏は二度と聴くことはできない。

プロの演奏会は芸術活動であると同時に、経済活動でもあるわけだから招聘する側もできるだけリスクは負いたくはないのだろうと思う。でもあまりに「知られたピアニスト」「コンクールで話題になったピアニスト」「アイドル的存在のピアニスト」ばかりが来日し、そのようなピアニストばかりが注目されてしまうと、本当に実力のあるピアニストを聴く機会が少なくなってしまうようにも思う。ここが残念だ。

この動画でモシュコフスキのエチュードを弾いているのはイレ―ナ・ヴェレッドというイスラエルのピアニストだ。僕はこのようなピアニストも聴いてみたいのだ。日本への来日はあるらしいが、昔のことだ。将来日本の大手事務所が招聘してくれることもなさそうな感じ。パリ音楽院でペルルミュテール、ジュリアード音楽院でロジーナ・レヴィーンに師事している。でも誰もが知っているメジャーコンクールで優勝しているわけでもないから、招聘するにはリスクが伴うのかもしれない。

誰でも知っている有名な人だけがピアニストではないように思う。

kaz




にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: 好きな曲・好きな演奏

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top