ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

昭和を捨てよう! 

 

ピアノ教育、導入の現場では、かつての「昭和のピアノ教室」というものを、すでに捨て去っているという印象がある。まず教材が増えた。選択肢が増えるということはいいことだ。生徒側のニーズも多様になったのかな?僕には信じられないことだけれど、純粋に音楽が好きという理由ではなく、たとえば「ピアノって脳が活性化されて学校の勉強にもいいらしいじゃない?」みたいな目的でピアノを習う(習わせられる?)子どもだっていそうだ。まあ、そのあたりは昔だって全員が「ピアノが好きだから」という理由で習っていたわけでもないような?「A子ちゃんも?じゃあ家のB子も・・・」みたいなケースも多かったように思うな。

あの頃の教材は、たしかに画一的だったように思う。教室が違っても教材は同じ・・・みたいなところがあったので、お互いの進度が分かりやすかった。「今何弾いているの?」「ブルグミュラーよ」「あら、私はソナチネよ」「いいなぁ・・・」みたいな?今は教室が異なれば、当然教材も異なるのが普通だろう。「今何弾いているの?」という話題は成立しなくなっているのでは?

消え去った昭和・・・

でも、消え去ったはずの昭和が、まだ生き残っている。それは大人のピアノ再開組の人たちの意識の中に残っている。自分も含めてだが、僕たちが習っていたピアノは、まさに高度経済成長期。誰でもピアノ・・・という時代だった。もちろん、教材も画一的だったように記憶している。教材は画一的、弾く曲も皆が似たような曲を弾いていたという事実がある。そうなると、どうしても弾いている曲の難易度のようなものによって価値基準を決めてしまう癖がついてしまう。

「赤帯の本?私は黄色よ」とか「えっ?発表会で○○弾くの?それってBの曲じゃない?私はCの曲を弾くんだから」昔は全音版には帯が存在していた。初級:赤 中級:黄色 上級:青  のように。記憶している人も僕と同年代の人などは多いだろうと思う。全音のピアノピースにも難易度のランク分けが存在していた。これは今もあるように思うが、初級:A・・・D以上は上級だったかな?よく「なんでこの曲がラ・カンパネラよりも難しいの?」みたいなことが言われていたような?

この「難易度によって判断をしてしまう」という癖が、せっかく大人になったのに、そして時代も平成になったのに抜けていない。よくブログなどで見かける表現。「私の他は上級者さんばかりで困った」とか「初級者なりに頑張る」とか・・・

バリバリと難曲を弾く=上級者、シンプルな曲しか弾けない=初心者・・・これっていいのかな?

新しい時代に即した価値判断が大人再開組にも、そろそろ必要な気がする。超絶技巧曲をバリバリ弾こうが、それが上手なわけではありません。バリバリとしか聴こえないのならば、それは下手なのです。そもそも曲そのものが難しかろうと、バリバリ弾いていいものではありません。シンプルな曲でも人の心に訴える演奏ができれば、それは上手なんです。

こう考えてみては?超絶曲をバリバリとしか弾けない人は上級者ではありません。シンプルな曲を「あら、素敵・・・」と聴き手に感じさせることのできない人は上級者ではありません。

つまり「あら、素敵な曲ね」とか「この演奏・・・いいね」と聴き手に感じさせることのできる人が上級者。「メフィストワルツ」をミスも少なく弾きこなしても、聴き手にバリバリ、ガンガン・・・という印象しか残せないのであれば、その人はまだ初級者なのだ。「エリーゼのために」を弾いて、それが弾ける曲の中で最も難易度の高い曲であっても「綺麗じゃない?素敵ね」と聴き手に感じさせることができれば、その人は初級者ではない。立派な上級者。

何を弾くか、何が弾けるかということに、なんでそう拘るのか理解できない。何を弾くか・・・じゃあないだろう?曲はどう弾くか・・・だろう?こうも言えるのでは?「あなたはピアノで何がしたいの?」

そろそろ昭和を忘れてもいいのではないだろうか?

シンプルな曲で素晴らしい曲はいくらでもある。演奏表現として客観的に「神演奏」ではなくても、自分が音楽から感じた情感のような、繊細な動きのようなものを、曲に反映できればいいんだ。音の濃淡とか、響きの奥行き・・・とかで。

「この曲好きなの。大好き。だから弾いてみたい。表現してみたい」この気持ちに忠実に演奏すれば、聴いている人の耳と感性は開いてくれるはずだ。それが世間で言う「難曲」ではなくても、それができれば上級者だろう?

kaz




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category: 昭和

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コメント

 

今回、教室の生徒たちの前でブルグミュラーの25の練習曲から弾くことにして練習しているんですが、音楽性を伝えるという意味ではとても難しいと感じています。

シンプルな作品って案外大変ですね。
小学校低学年の頃、その年齢なりに音楽を味わって弾いていた・・・つもりでしたが、もう40代も後半になってから改めて演奏をしてみると、懐かしさもあるし、新たな発見もあります。

その作業がとても楽しいですね。
演奏難度が高い曲を仕上げるのは、確かに「やった感」あるんです。
技術が身について安心感もあります。
でも、ただ音を並べただけとか、弾くだけで満足してしまう仕上げにしないようにしたいな、と、レッスンを再開した頃からいつも考えています。

面白いもので、指導する私が自分の曲にそういうふうに「この曲好き、弾いてみたい」または「昔は興味なかったけど、いっちょやってみっか」みたいな気持ちで取り組んでいると、生徒たちもそういう取り組みが当たり前と思うようですね。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/12/11 16:02 | edit

なかつかさま

例えば、「メリーさんの羊」程度の曲だと、人に何かを伝えるということは困難かもしれませんが、ブルグミュラー程度の曲だと、演奏によって差が出てきますね。残酷な言い方をすれば、上手い、下手・・・が聴いている人にも分かる。

何を弾こうが、ただ「こんなに難しい曲が弾けて凄い・・・」という印象だけの演奏は残念なように思います。演奏者が「弾きこなしたい」という思いだけで弾いていれば、それが伝わってしまうのかも・・・

kaz #- | URL | 2015/12/12 07:25 | edit

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