ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

イタリアのピアニスト 6 

 

外国語をリスニングする、英語の場合は少し理解できるので、「聞きとらなくては!」みたいな意識が働く。とても疲れるので、意識を抜くと、とたんに言葉というものが、ただのサウンドとして聞えてくる。そのような時、日本語との差異を感じたりもする。日本語よりも抑揚があるなと。日本語ってなんだか全部が四分音符みたいというか・・・

イタリア語となると全く理解できないので、最初から言葉としてではなく、サウンドとして耳に入ってくる。英語よりもはるかに抑揚のある言葉だなと、そのような時に感じたりする。日本語は、全部が四分音符、メゾフォルテのようにも感じてくるとしたら、イタリア語は一つの言葉のフレーズの中に、様々な音価の音符、クレシェンド、アチェレランド、フェルマータ、ピアノ、フォルテ、すべてが盛り込まれているような?しかも音楽のフレーズのような、フレーズ内の頂点のようなものも感じたりする。たとえそれが「煙草屋は二番目の角を右に曲がって三軒目だからね」みたいな俗っぽい意味であっても非常に音楽的に聞えてしまう。

会話集などを片手に、一生懸命に一つ一つの単語を並べるように話しかけてみても、大抵は現地の人には通じない。そこには言葉としての流れがなく、抑揚がないからだ。言葉もフレーズとして成り立っていないと相手には通じない。

拍を刻み過ぎて、ただ弾いてしまう・・・などという場合は、この感じに近い。弾いている瞬間の箇所を頑張りすぎていて、流れとかフレーズにまで意識がいっていない印象だ。そこのパッセージだけのことを感じすぎて弾いてしまう、フレーズとして形成されていないと、聴き手には通じない。

イタリアがベルカントの国、オペラの国として発展した歴史とイタリア語という言葉とは無関係ではあるまい。フレーズが長く、そのフレーズ内に抑揚がある。

そのような観点でイタリア人ピアニストの演奏を聴いてみると大変興味深い。ピアノを弾いているんだけど、同時に歌を歌っているというか。イタリア語のようにフレーズ感覚が長いのだ。

ピアノって音も多いし、動きも多いので、どうしても「その場対処演奏」になりやすい。音楽も言葉と同じように、通じない・・・ということもある。

今までロベルト・ピアナの作品、演奏はピアソラ作品を中心に、割とキレのいいものを紹介してきたが、このような作品も編曲し、演奏している。シャンソンだけど、イタリア語を感じる演奏だ。

kaz





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