ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

サムライ・ベルゴンツィ 

 

本番が近づくと僕だって神経質になる。普通は「ワクワク!」なんて状態で本番を迎えるなんて人はいないのでは?なのでこれは当たり前の心理状態なのだと思う。会場が小規模ということも緊張している原因なのだろうと思う。キャパ60の会場で、現在は58枚チケットが出ている。むろん申し込んで当日来ない人もいるだろうし、前半だけ聴く、あるいは後半だけ聴くという人もいるだろうから、多少は空いた椅子もあるだろうと思うが、会場密度というのだろうか、そのあたりはプレッシャーだ。さらに聴き手と演奏者との距離がとても近いというのも緊張する原因だろう。200席に60人、さらに舞台と客席との距離があれば、もう少しは心理的に弾きやすいだろうと思う。当然雑司ヶ谷音楽堂には舞台というものはない。最前列の人にペットボトルを持っていてもらい、曲間で水分補給・・・なんていうのも可能だ。いや、やらないけどさ・・・

「心配を打ち消すような練習はしないように・・・」これは先生がよく言う言葉だ。あと数日、毎日10時間とか練習しても意味はないだろうと思う。ガンバリズムって日本では美点とされているけれど「きちんと弾かなくてはという心理状態は表現意欲を殺してしまう」ということになりがちだとも思う。これも僕の先生の言葉だ。

表現って絵の具で色を塗り足していくような感覚に思いがちだけれど、塗り足すとか、感情を込めるという感覚よりは「発酵」という感じに近いのではなかろうか?パンがフワフワに膨らむのは発酵があるから。空気の穴ができるからだね。それに近いような気がする。

「いい演奏は発酵された状態なんじゃないかな?」そう言ったのは友人のルカ。彼の実家はパン屋なので、そのような表現になったのだろうか?発酵・・・つまり生きているということかな?「発酵には天然酵母が重要なんだ。演奏と同じだね」などともルカは言う。意外かもしれないが、僕もパンは作る。でも粉とイースト、水を放り込んで、あとは機械任せなので、そんなことはとてもルカには言えない感じだ。

「kazは内面は奥ゆかしい日本人ではなく僕と同じイタリア人だ。だから演奏会だって大丈夫さ。演奏会は成功する。君はサムライ・ベルゴンツィだからね・・・」

サムライ・ベルゴンツィ・・・ねぇ???

なんとなくベルゴンツィって表現が「濃い」という気がする。だから僕はサムライ・ベルゴンツィなのだろうか?

ベルゴンツィって最も「イタリア」というもの、そして「発酵」というものを感じさせる歌手だったのかな?なんとなくそんな気もする。イタリアは日本以上に家族の絆とか、そのようなことを重要視するらしい。特に南イタリアはそのような傾向が強いともいう。ルカの故郷はソレントだったから、彼は閉鎖的な土地から逃れたくて、さらに家族という絆から逃れたくてアメリカに渡ったのだという。

「何?アメリカへ留学?デザインの勉強?お前はここソレントでパン屋を継ぐのだ。ニューヨーク?魔都らしいじゃないか?そんなところへ行ったら殺されてしまうぞ?」

ある日、ニューヨークでルカはカルロ・ベルゴンツィを聴いた。彼はアンコールで「さらば、栄光の夢」という曲を歌った。不覚にも涙がとまらなかった。「ああ・・・俺はイタリア人だ。どうしようもなくイタリア人だ。パーパに逢いたい・・・ソレントの海に逢いたい」ルカは何年も逢っていなかった家族と再会した。

ルカは現在ミラノ在住。昨年ベルゴンツィがミラノで亡くなった時、彼はかつてベルゴンツィが活躍したスカラ座の前で黙祷したのだそうだ。そのような人が何人もスカラ座の前でベルゴンツィのために祈っていたらしい。ベルゴンツィは最もイタリア・・・というものを感じさせる歌手だったのかもしれない。

濃すぎる・・・とも感じられるようなベルゴンツィの濃厚さ、これは発酵なのでは?

せっかく「サムライ・ベルゴンツィ」というニックネームをもらったのだから、あと数日は発酵を心がけようと思う。

kaz

ベルゴンツィの「さらば、栄光の夢」




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