ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

耳コピって訓練?能力? 

 

所属するサークルのメンバーにジャズの得意な人がいる。僕はジャズって「よく分からないんだよねぇ・・・」などと思う方なのだが、自分でアレンジしたりアドリブで華麗に弾いたりするのを聴くと、「いいなぁ・・・」などと思う。正式にジャズ理論などを勉強した人ではなくても、昔電子オルガンを習っていて、ヤマハの講師などもしていて、現在はクラシックを弾いている・・・などという人もポップス系の洋楽などを自己アレンジで弾いたりして、それがとても素敵だったりする。

思うに、このようなことができる人と、できない人とに分かれるのでは?別に所属するサークル内に限らず、ピアノを弾く人の中で、できる人とそうではない人とに分かれるような?

ピアチェーレの演奏会でプーランクの「愛の小径」を弾く。もしかしたらソロ用の楽譜も存在しているのかもしれないが、僕はオリジナルの声楽用の楽譜で練習した。当然、3段譜なわけだが、それを知って驚く人がいる。素人さんではなく、クラシックの難曲を弾く人がだ。さらにピアチェーレの演奏会で弾く「11月のある日」はギター曲、「アルフォンシーナと海」はフォルクローレなので、歌の曲だ。この2曲は、完璧に耳コピで弾く。「えっ・・・なんでそんなことができるの?」とこれも驚く人がいたりして、こちらが驚く。

子どもの頃は即興演奏で遊んでいた。別に「これは何調です。この調の調号は・・・」などという知識もなく、色々な調で弾くことが楽しかった。転調すると色が変わるのが楽しかった。子どもの頃のピアノレッスンでは、いわゆる「ソルフェージュ」なるものをやった記憶はない。それどころか、僕は楽譜が読めなかった。なのでレッスンの曲は練習しようがなく、それで子どもの頃のレッスンは撃沈したのだ。大人になってピアノを再開してからも、別に「移調の練習をしましょう」みたいなレッスンではなく、普通にピアノの曲を弾くだけだ。僕はソルフェージュなるものの訓練を受けたことはないのだ。

施設で音楽療法なるものがある。セラピストが来てセッションをする。日程が合えば僕もお手伝いをすることがある。ピアノを弾くのだ。その場合、叙情歌とか童謡が中心になる。基本的に楽譜の調は高齢者には高すぎるので、移調して弾くことになる。正規に移調奏の訓練は受けてはいないが、「リンゴのうた」を歌いましょう・・・という場合、楽譜がCだったらAに移調して弾くことは普通にできる。

なんとなく、このようなことができる人にとっては当たり前のことが、できない人にとっては摩訶不思議な能力に思えるのだろうか?

ここで思う。音大を卒業した人でも歌謡曲を耳コピで弾いたり、「リンゴのうた」をいきなり移調して弾いたり、または歌だけの1段譜を見ながら、適当な伴奏をつけたりすることのできない人がいるらしいということ。ショパンやリストは弾ける。でも歌謡曲を耳コピで弾いたり、1段譜や3段譜を適当にピアノで再現することはできない。音大という専門機関で2年なり、4年なり、みっちりと専門的にソルフェージュなる授業で訓練されたのでは?

「音大のソルフェってそういうことをするわけじゃないの」・・・なのかもしれない。アカデミックな場なのだろうから、そのようなことなのかもしれないが、耳コピができなかったり、移調ができなかったりしたら、実践的ではないよね・・・とは思う。

このような能力(と言えるのかは分からないが)があるのと、ないのとでは、いわゆる普通のクラシックのピアノ曲を弾く場合でも、何かしら関係してくるのではないだろうか?楽譜を視覚的に把握し、それを鍵盤に移す・・・ことはできる。それが複雑な情報でもできる。だから難曲も弾けるのだろう。でも頭の中で自分なりの理想の音は鳴っているのだろうか?耳コピで弾く場合、弾いている箇所よりも先の音が鳴っていないと演奏として成立しない。楽譜がないわけだから。でもクラシックのピアノ曲を再現する場合でも、このような感覚は必要なのでは?

このあたり、音大卒の方の意見を聞いてみたいなどと思う。

kaz




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category: 拍手のない名演

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コメント

 

Kazさん、いつも興味深く拝見しています。
私は楽譜から入った派・ソルフェやってた派(こどものころ)ですが、
移調できません(40から始めたジャズピアノもそこで頓挫しました)。
しかしながら、大学の同級生で、”僕楽譜よめないんで~”という、
というDr(お母様がピアノの先生)が鮮やかに耳コピで
クライスレリアーナを弾いてくれます。
かえって、音楽が楽譜から入ってない、耳から入ってる、という強みとおもって、衝撃でした。(お母様がピアノやってて、子供のころから耳が慣れてるのかもしれませんが)(私がクライスレリアーナをやるときにはまずは譜面とにらめっこなんですよね・・・・)
楽譜という書式にしばられてしまうとそういう柔軟性がなくなるかも、と思いました。
アート・テイタムも、楽譜なんかに縛られてないと思います。

ふじみみ #- | URL | 2015/11/17 19:44 | edit

ふじみみさま

導入期に「耳だけ」で弾いてしまうと、やはり行き詰ってしまうような気もします。僕自身がそうでした。練習がイヤ・・・とか以前に、練習しようがないんですね、楽譜が理解できないと。

大昔にヤマハ特約店の社員だったことがあるのですが、楽譜の読めない生徒が沢山いて、それはそれは可哀そうでした。グループレッスンで音のシャワーを浴びてしまう。サウンド体験としていい気持ちになってしまう。これ自体はいいのですが、そのような生徒は楽譜を読むという地道なことに面倒くささを感じるようになってしまうみたいで・・・

バランスの問題なのかもしれませんねぇ・・・

でも、ショパンやリストなどのスタンダードのピアノ曲を演奏する場合でも、ソルフェージュ能力が足りないと、困ることもあるのではないかと想像したりはします。譜読みなども、最初に全体をワーッと読んで(というか弾いて)しまうなんてこともできないのでは・・・などと思います。一つ一つ丹念に音符を拾っていくのでしょうか?

演奏そのものが生き生きしている人は、なんとなくソルフェージュというか、即興とか、移調とか、そのようなこともできる・・・という感じはします。

kaz #- | URL | 2015/11/17 21:16 | edit

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