ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ルーツ その4 フランコ・コレッリ 

 

もしアマチュアであれば練習の成果、プロであれば訓練の成果を聴き手に感じさせ、それで聴衆も感心、満足するのであれば、クラシックの世界は意外と甘いものなのかもしれない・・・などと思ったりもする。

いやいや、違うのだ。もっと心を揺さぶられるような、演奏者自身からの何かを、音楽という音の世界を媒体に、こちらに感じさせてくれるような、熱くさせてくれるような、そんな体験をしたい・・・なんて思う。

僕の初めてのコンサート体験、生演奏体験(教室の発表会などではなく)がフランコ・コレッリだったのは、もうこれは運命だったのではなかろうか?小学3年生だった。当時は主に往年の巨匠の演奏をレコードで紹介してくれる導き役のような医大生がいて、この人がコレッリの演奏会に誘ってくれたのだ。チケットもプレゼントだったと記憶している。彼はオペラ狂い(?)のようなところがあったから、コレッリは聴きたかったのだろう。でも何故に小学生を誘ったのか?

「歌に対しての反応が鋭いから」というのが彼の答えだったような記憶がある。コレッリは、例えばディ・ステファーノやヴンダーリヒのような、一声で認識できてしまうような美声ではない。少なくとも、世間ではそういうことになっていた。僕自身はコレッリの声は美声だと感じたし、今でもそう感じるが、どこか個性的な声ではあったかもしれない。声そのものの美質だけで語れるような演奏家ではないというか。マリア・カラスもそのような歌手のような気がする。

小さな港町の造船会社の会社員だった。決して裕福な家庭で育ったわけでもない。やはりコレッリにも他の多くの歌手と同じように、決心の瞬間があったのだ。「俺・・・歌が好きだ・・・俺、やってみるよ!」

オーディションを受けても受からない。「お前・・・変な声だな?オペラ歌手なんて無理だよ、諦めて地道に暮らせよ」そう言われ続けた。コレッリは声を求めなかったわけではないだろうし、磨き続けたのだろう。しかしコレッリは情熱を歌を通して伝えることに成功したのではなかろうか?それが自分の生きる道だと・・・

コレッリの歌表現は、ちょっと他のテノール歌手にはないような「濃さ」があるとされていて、このあたりを「濃厚すぎる」と敬遠する人も一部にはいたように思う。たしかに、声そのものだけではなく、歌表現にも「コレッリにしかできない、コレッリしかやらない」というものが存在しているようにも思える。

忘れもしない。1973年、11月、NHKホール・・・確かにこの動画で歌っているコレッリを僕は聴いたのだ。レコードでは味わえない、音表現による不思議さをも感じた。舞台から客席に伝わっていく、歌の空気が伝染していくのが、子どもだった僕にもはっきり分かった。声、そして歌表現が聴き手の中に入り込み揺らしてしまうのだ。この時の現象は、伝染していく・・・という表現しか思いつかない。

初めてのプロの演奏会が「あらぁ・・・とても上手ね」という演奏でなくて良かった。コレッリで良かった。

この時のことは今でも覚えているし、今でもはっきりと脳内で追体験できる。演奏というものは聴き手の何かを変えてしまう力があるように思う。その力を備えた演奏はとても少ないけれど・・・

kaz




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