ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアノは両立するものか? 

 

やはりピアノを辞めてしまうのは小学校卒業に合わせてが多いのだろうか?せめて中学を卒業までレッスンを続けられれば違うと思うがなぁ?今ではそう思う僕も小学校卒業に合わせて辞めたのだけれど・・・

癌の再発、再発までの期間が長いほど予後はいい。ピアノもどこか似ている。小学生よりは中学生まで続けた方が、さらに高校生まで続けたほうが、大人になってからピアノを再発・・・ではない、再開する時の予後がいいだろうとも思う。でも現実には、欠かさずピアノのレッスンを子どもの頃から続けてきて、来年定年です・・・なんていう人は珍しいだろうとも思う。僕はある意味でピアノを習っている年齢層がピラミッド図になるのは自然なことだと思っている。人生にはピアノよりも大切なことが現れてくるからだ。進学もそうだし、就職もそうだし、人によっては住む国を変えることだってあるだろう。「普通の人生」というものを歩むだけでも、まあ、いろいろあるのが普通だ。

「進学塾に通わなければ。ピアノは嫌いではない。できれば続けたい・・・でも両立なんてできるだろうか?もし志望校に合格しなかったら?今は進学というものに集中する時なのでは?」

「部活動が忙しい。ピアノは続けたいけれど、でもそんな時間はない。勉強だってしなければならないし、志望校に不合格なんて絶対に困るし・・・」

若いんだな・・・と僕は思う。若さの特権だとも思うし、美しさだとも思う。悩みが狭く濃いんだよね、若い頃って・・・

いずれ悩まなくなるんだ。大人になっていろいろ経験してしまうと。

はっきり言って、どんな進学校の勉強であろうと、賃金を稼ぐ「仕事」というものよりは楽なのだ。大人の場合、「どうしよう、昇進もしたいし残業も多くなるし、ピアノとの両立なんてできるだろうか?」なんてことでまず悩まない。弾くか、または諦めるかだ。ここで弾くということを選んだ人は、悩まずに弾く。練習時間を捻出できないこと、思うように練習できないこと、または上達できないことで悩んだりはするかもしれないが、辞めようか・・・ということでは悩まない。大人になるとそうなるのだ。「お母さん・・・お腹すいた」と言えば夕食が用意されているわけでもない。家事なども自分で全部やるんだよ?それが普通の大人。でも辞めようか・・・ということでは悩まない。

弾くことを選択した大人にとって、ピアノは弾くものなのだ。両立とか、そのようなものではなくなる。実質的には長い間レッスンに通えない時期もある。それこそ病を患うとかね。でも辞めない。弾けるようになったら、また弾く。

大切なのは、再開した時に過去の、子ども時代に習っていたピアノというものを否定的に捉えないような大人になることだろう。言葉を変えよう、子どもの時のレッスンは、その子どもの将来にまでつながっているということだ。中学進学を理由に辞めた・・・でもそこで終わりではない。その生徒とは、ある意味で切れるのかもしれないし、その生徒が大人になった時、「先生、なんであの時きちんと弾けるようにしてくれなかったんですか?」なんて言いに来るわけでもない。でも、つながっているのだ。

A子さんは昔ピアノを習っていた。高度経済成長期の頃だ。高校進学に合わせ、ピアノは辞めた。ピアノは嫌いではなかった。でもあまり弾けなかった。中学生の時は、やはり部活動が大変で、ピアノの練習どころではなかった。先生は歌謡曲とか、洋楽とか弾けば・・・と言ったので、なんとなくそんな曲を弾いていた。でもどこか心は満たされなかった。かといって、ピアノ頑張りますなんて習い方は無理でもあった。就職し結婚した。それなりに幸せだった。でも夫の会社が倒産した。妻として夫を、家族を支えた。落ち着いた頃、今度は介護をしなければならなくなった。長男の嫁なので仕方ない。義理の母親も看取った。A子さんは55歳になっていた。「お母さんもやりたいことをやれば?」などと子どもも夫も言う。「ピアノ習おうかしら?」

もちろん、趣味で習っていたピアノだ。昔だってろくに弾けなかったのだ。でもピアノを弾きたいと思ったのだ。そして、それが長年の自分のやりたいことでもあったのだと気づいたのだ。胸の中にしまっていたけれど・・・誰にも言わなかったけれど、自分でも気づかないふりをしていただけなのだと・・・

電子ピアノの前でA子さんは泣いた。「ああ、なんでもっときちんと習っておかなかったんだろう」と。悔しかった。自分が恵まれているのは知っている。家族がピアノを習うことに反対しているわけでもないのだから。でも悔しかった・・・すごく悔しかったのだ。

大人になった時、昔習っていたピアノを再開する人は実に多い。その時、その人が「子どもの時習っていたような先生がいいな」と思うか「あの時のようなレッスンはもうイヤだな」と思うかだ。

小学生も中学生も高校生も、いつかは大人になる。悩み、苦しみ、笑ったあとに、またピアノを弾きたくなる。大事なのは、その時。

一人ピアノに向かう。練習しなさい・・・なんて言う人はもういない。全部自分の選択だ。弾きたくても弾けない時が多い。でもピアノの響きに包まれる時、一瞬でも至福のような音が出せれば、もう自分は幸せなのだ。自分が出したい音を出せるように、頭の中で鳴っている崇高なものに自分で触れようとすることが幸せなのだ。ただそれだけが幸せなのだ。

そのような時がきっとくる。今習っているピアノ、子どもの頃のピアノは、その時のためにある。

むろん、進学してもピアノを続けられればいいだろうと思う。大人までピアノのレッスンを継続できればいいだろうとも思う。でも多くの人はどこかで中断する。再開した時・・・大事なのはそこ。辞める理由ではない。

kaz




にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: 拍手のない名演

tb: --   cm: 2

△top

コメント

 

かつての自分は、一旦は否定するもの

昔の自分の受けてきたレッスンを一旦否定するのは「あるある話」だと私は考えています。

私は今は、自分の受けてきたレッスンについて充分受け入れていますが、大学を卒業した頃は過去のレッスンを全否定して指導の仕事を始めたんです。

でも、今気づいたら、自分がやっているレッスンスタイルに、最初の先生の影響はかなりある。

あのね、否定するのは仕方ないんですよ。1つは、今のおとなたちが子供だった頃のピアノの先生は、「趣味でピアノを続ける(あるいは復帰する)」というビジョンがない先生が多かった。専門にいくか、やめるかしかない。
それではいやだ、物足りない、というパイオニア的な方が何人も生まれ、今の状況になってきた部分もあるかもしれないな、と思います。

その頃の先生は、目の前の生徒が受験などでやめたら、もう二度とピアノを弾くとは思って教えてないんです。そういうビジョンがなかった。今でもそういったビジョンがない先生はいると思います。

多分、私自身が「どうしようもなくピアノが弾きたい」が高じて、音大に行っちゃった人なんです。音大に行かなくても、ピアノは教えてないかもしれないけど、今、ピアノを弾いてると思います。あんまり上手には弾けなくても。

「なぜあの時ちゃんと教えてくれなかったの」
そう思うのも仕方がないんですよ。ひょっとしたら、その時その人は「ちゃんと教えてあげたい」先生を拒否してたかもしれない。そういう話も聞くんです。

本当に弾きたいって思ったら、また戻ってくればいい。
それまで、私はここにいる。そう、やめる子に話をしたら泣いていました。
そんな日が来るかなって。

来るといいね、待ってるからね。

kazさんも、戻ってこられてよかったね。
苦しくても弾きたいんだ、そう思えることがあるのって、何もない人から言わせれば幸せなんだそうですよ。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/11/02 17:16 | edit

なかつかさま

「趣味で習うの?」「音大に行くの?」このような言葉がなくなるといいと切に思います。教師も生徒も音楽、ピアノに憧れる人と、そうでもない人に分かれるのかもしれません。

音大を卒業してピアノ教師になっても弾かない人もいるかと思いますし。

受験とか就職とか、やはり人生の大きなイベント(?)ではありますが、真に重要なのは、それらの道を通過したあと、心に穴があいたときなのかもしれません。そんな時、ピアノや音楽を求めてしまう・・・

その時につながっているんだ・・・というビジョンでレッスンをしてくれる教師は素敵だと思いますし、そのような教師は弾いているのではないかとも思います。

kaz #- | URL | 2015/11/02 19:22 | edit

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top