ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

二人の自分 

 

練習のために音楽があるのではなく、音楽のために練習がある。当たり前のようなことだが、本番前など特に練習のための練習みたいな感じになってしまう。いや、本番前だけではなく、日頃の練習でも「弾けないところを弾けるようにする」という練習だけで終わっていないだろうか?

「ここが難しくて弾けないから」「あそこのパッセージがどうも苦手で」のように、弾けないところを弾けるように・・・ということが練習だと思い込んでしまう。ひたすら指を鍛え、反復練習に励む。弾けるようにはなっていくかもしれないが、音楽はどこに?

「ああ・・・音楽的に弾けるようになりたい」と願っていても、日頃の練習で「弾きこなす」ということに懸命になりすぎていては、本番でいくら「音楽的に・・・」と願っても「弾けました~」あるいは「弾けませんでした~」ということで終わってしまう可能性がある。練習でやっていないことは本番ではできないのが普通だろうと思う。これはなにもパッセージの成功率のようなことだけではなく、音楽としての演奏にも当てはまるような気がする。音楽的に弾く練習をしなければ、それが練習でできていなければ、本番では音楽的には弾けるはずがないのだ。

ではどうしたら?

もう一人の自分を練習の時に創り上げてしまえばいいのではないだろうか?実際に楽器を弾く自分とコレペティトールとしての自分。二人の自分・・・

コレペティトールって?

歌劇場には必ずコレペティトールという人がいる。歌手だけに限らないのだが、ピアノを弾きながら歌手に音楽的な指導、アドバイスをする人のことだ。指揮者には、このコレペティ出身の人が多いように思う。歌手にレッスンするにしても、別に発声を指導するわけではない(結果的にそのような指導にも踏み込むということはあるとは思うが)。あくまでも「音楽としてそれってどうよ?」ということを指導していく。コレペティは音楽そのものを指導できなければいけない。ピアノで指導することが多いが、むろんピアノ譜だけではなく総譜も読めなければならないし、数か国語を理解していなければならない。

「どう弾くか?」「どう発声するか?」ではなく「どう音楽をしていくか・・・」というところに踏み込むのがコレペティの役目。このコレペティ役を自分でこなしてしまえばいいわけだ。「音をはずさない」ということだけを聴くのではなく、全体的な音楽として自分の演奏を聴くことがコレペティの役目だ。

日頃の練習から、「ひたすらパッセージ練習に頑張る自分」と「コレペティトール」としての自分の二人を活躍させてみればいいのではないだろうか?

これがコレペティのレッスン・・・

kaz




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