ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

メロディー 3 

 

子どもの場合は、いろいろと「習い事として」みたいな特殊事情も絡んでくるだろうが、大人でピアノを弾いている人は強いピアノへの意志のようなものがあるような気がする。「昔習っていたソロバンにしようかな、水泳にしようかな、どうしようかな、まっ、ピアノでも・・・」というよりは、「ピアノを弾くのだ、習うのだ」みたいな強い意志。そもそもピアノを習っている、弾いているということそのものに、ピアノへの憧れのようなものと密接な関係があるというか。ギフトを与えられ、心が動いたから・・・という人も多いように僕は思う。

その純粋というか、シンプルなものを演奏に出せばいいんだよね?

でもそれが難しい。人前で、しかも暗譜でピアノを弾くって、実に大変なことなのだ。こんなこと改めて書かなくても承知のことだろうと思う。「弾いた!!!」ということだけでアッパレなところもあるのだ。

でも誰かからギフトを与えられたのだったら、その想いを自分でも具現化できたらいいと思うのではないだろうか?「できれば私だって・・・」みたいな。「楽譜が音にできました。現段階では満足よ」ということもあろうが、そしてそれを否定するつもりもないが、でもそのような人だって心を動かされる演奏を聴いてしまったら、何かしらを感じるのではなかろうかとも思う。ここで「私は私・・・関係のないこと」と割り切れる人がそう存在するとは僕には思えない。

やはり勇気・・・なのかなと思う。逃げないことというかね。「レベルが違うからぁ・・・」とか「私には才能がないからぁ・・・」なんて思わないこと。せっかく自分に与えられたギフトが泣くよ?

練習会、発表会、どのような場であれ、聴いている人の中に、一人は感じてくれる人がいると信じよう。「ああ・・・やっちゃったぁ・・・」と自分で感じても、そのような表面上のミスではなく、何かしらを感じてくれた人がいたと信じよう。それには自分が授かったギフトを大切にすること。捨てないこと。

誰かが聴いてくれる。

誰かが感じてくれる。

一瞬でも、一人でも感じてくれたら、その人にあなたはギフトを贈ったことになるのだ。

自分へのギフトを信じよう。

kaz




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category: ピアノ雑感

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