ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ヨーロッパ人を警戒するヨーロッパ人 

 

「ルームメイト求む」

大学の掲示板で見つけた。大学には寮があったので、そこでも良かったのだが、できれば「最近まで高校生でした」という若者よりは、落ち着いた大人、自分よりも年齢の高い人とのシェアを僕は望んでいた。

「仙人のような人だな・・・」というのが初めてHに会った時の印象。

「日本人ですね・・・」「そうです。アメリカには3年目です。前はボストンにいました」「そうですか・・・ボストン・・・・」「あなたはポーランド人ですね?」

Hはしばらく考えているようであったが、こう言った。「いえ・・・私はユダヤ人なんです」

Hが僕を歓迎したのは、僕が日本人であったという理由が大きかったように思う。「東洋の人、特に日本人はユダヤ人に偏見を持っていませんから。昔からそうだったと聞いています」

たしかに偏見はなかった。ユダヤ人と知っても、「だから?」としか思わなかったし、スラブ的な顔立ちなどはポーランド人ということを特徴づけていたのかもしれないが、僕にとってHは「西洋人」としか思えなかった。Hは「だからいいんだ・・・」などと言っていたが・・・

共に生活を初めてからも、異国の怪しげな香が部屋にたちこめ、Hがユダヤのタルムードを読んでいる・・・などということはなかった。僕はHがユダヤ人であるという意識を持つことなく生活していたように思う。僕はHに対して警戒するということなく生活していたとも言える。彼も同じだったように思う。

「もしシェアしたいという人がオランダ人やフランス人、つまりヨーロッパ人だったら僕は断っていたと思う。君が日本人だから共同生活ができるんだ」

Hはどこかヨーロッパ人を警戒していたようだ。その理由は分からなかったが、しつこく質問するのも躊躇われた。でもユダヤ人であるということと関係していたのは確かだと思う。

「僕はドイツにおけるオーストリア人、世界におけるユダヤ人・・・誰からも歓迎されない」というマーラーの言葉が重く感じられる。

国籍の連帯感よりもユダヤ人としての連帯感のほうが強い、そんなことがあるのだろうか?

あまり話題にならなかったが、5年程前に「黄色い星の子どもたち」という映画が封切られた。僕も新宿まで観に行ったが、3割ほどの入りだっただろうか?この映画はユダヤ人迫害をテーマにしていたが、舞台はパリだ。このようなテーマの映画は、ポーランドやドイツ、ナチスというところばかりが強調されることが多いが、当然フランスにも同じようなことがあったのだ。この映画の原題は「一斉検挙」という。実際に1942年、パリであったヴェル・ディヴ事件をもとにしている。実際にあった話なのだ。

1942年、フランス政府によるユダヤ人狩りがあった。連行されたユダヤ人たちはパリの冬季競輪場(ヴェル・ディヴ)に集められた。一万三千人以上の人々がそこに収容された。その中には四千人以上の子どもたちもいた。まず、大人だけを収容所送りにする。そして残った子どもたちも後から収容所送りにする。この事件の悲惨なところは、親と子どもを無理やり引き離したというところだ。どのような光景だったのかを想像するのは難しいことではない。泣き叫ぶ親子の光景だ。

この時のユダヤ人たちはフランスという国を信じていたとされている。自分たちはユダヤ人であるが、ここはドイツやポーランドではない。ここはパリなのだ。周囲のフランス人もナチスを憎んでいるではないか・・・

パリのユダヤ人たちはパリに裏切られたのだ。そのような哀しい史実がある。

Hがヨーロッパ人を警戒していた理由・・・の一つなのかもしれない。

kaz



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