ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

恋焦がれてみませんか? 

 

少年は市内唯一の楽器店のディスプレイを見つめていた。ヴァイオリンが飾ってある。いつまでもそのヴァイオリンを見つめていた。1951年、博多でのことだ。かつて少年はヴァイオリンを習っていた。足の不自由な男の先生だった。教室のヴァイオリンを借りてだけれど、少年はヴァイオリンを弾くことが好きになった。戦火も激しくなった。先生は空襲で行方不明になってしまったし、少年の父親も南の島で戦死してしまった。少年は博多駅で靴磨きをしながら家計を助けた。ヴァイオリンを習いたいなんて母親にはとても言えなかったし、少年も生きていくだけで精一杯だった。

「ユーディ・メニューイン・ヴァイオリン・リサイタル」

とても偉い人だということは少年にも理解できた。ポスターを見て、心から「この人の演奏を聴きたい」と思った。チケットは500円。少年が靴磨きで一日に稼ぐ代金は5円。その5円だって、すべて母親に渡してしまうのだ。「でも聴きたい」・・・「そうだ、余分に靴を磨こう。何百足でも・・・でもチケットはなくなってしまうのではないだろうか?」

会場の売り場に行き、少年は「絶対に500円払います。でも毎日少しずつしか払えません。チケットを取っておいてくれますか?」窓口のお姉さんは、しばらく考えていたが、「わかったわ。一枚チケットは取っておきます」と言ってくれた。そして少年は500円を払い終えた。「これで500円だね。チケットはまだありますよね?」「もちろんよ。一枚取っておいたわ。よく頑張ったわね。はい・・・これがそのチケットよ」「あの・・・これ、高い席のだよ?800円・・・僕払えない・・・」「いいのよ。300円は私からのプレゼントよ」

メニューインは戦争の傷跡残る日本を演奏しつつ、それでも音楽に焦がれている聴衆の存在を知った。そして博多での演奏会、スタッフから靴磨きの少年のことを知らされた。

メニューインの演奏は想像以上だった。夢のような時間だった。少年が家でそう思っていると、立派なスーツを着込んだ人が少年の家を訪ねてきた。「明日、博多駅の○番ホームに来て頂けませんか?あなたに会いたいという方がおられます」少年が翌日、指定された駅のホームに行くと、そこにはメニューインがいた。少年は信じられなかった。メニューインは「あなたは将来、何をしたいのですか?」と少年に質問した。少年が「メニューインさんのようなヴァイオリニストになりたいです・・・」と答えようとした時に、発車のベルが鳴り響いた。メニューインは微笑みながら列車に乗り込んだ。少年は見えなくなるまでメニューインの乗った列車を見ていた。

少年の家に小包が届いた。海外からのものだ。恐る恐る少年が小包を開けると、そこにはヴァイオリンがあった。手紙が添えられていた。「日本の小さな親友へ。ユーディ・メニューイン」

とても美しい話だ。でも、これは実話らしい。少年の名前は馬場タカシさんという。昔は焦がれていた人も今よりは多かったのかもしれないなどと想像する。夜行列車で東京まで出てきて、震えるような想いで憧れの演奏家を聴く・・・なんて普通にあったと思うから。

この焦がれる・・・という想い、音楽に、演奏家に焦がれるという想い、これは上達すれば感じるというものではない。チェルニー50番以上になれば、焦がれる気持ちが芽生えるなんてことはない。あるか、ないか・・・なのかもしれない。焦がれる気持ちがなくても、ピアノは上達することはできるのかもしれない。難曲を弾けるようにもなるのかもしれない。達者な演奏に人が感心してくれるのかもしれない。

「昔習っていたけど、ピアノなんて大嫌いだった・・・」

「おもしろくもない曲ばかり弾かされていたし、ピアノなんていい思い出ないなぁ・・・」

「とにかく先生が厳しくて・・・というより恐くてね。その思い出しかない。大人のピアノ?もうあの世界は勘弁・・・」

なんとも寂しい言葉だ。では「キラキラ楽しいレッスン」だけがピアノなのだろうか?そこは大いに疑問を感じる。レッスン恐怖症になるよりは、むろん楽しいほうが良かろうが、「楽しく」というよりは、目指すべきものは「恋焦がれる」みたいな想いを伝えることではなかろうか?でも焦がれた経験のない人には伝えるべきものもないのかもしれない。

僕は音楽や演奏、演奏家に恋焦がれるという感情は、ピアノを教えている人、習っている人が共通に持っているものだと思っていた。「だからピアノを習うんでしょう?」みたいな?でもそうではない人もいるということを知った。そのような人も結構、多いのかもしれない・・・などと最近は思い始めている。

僕がピアノを単なる「お稽古事」ではなく、「焦がれるもの」と意識変換した、変換があったのは8歳の時だろうと思う。それまではピアノは「そろばん」「習字」と同じ感覚のものだった。偉大な演奏を、それこそシャワーのように聴き始めたのが8歳の時なのだ。ピアノのレッスンと音楽というものとを、僕が完全分離してしまったのもその時だ。ピアノのお稽古(レッスン)は僕の焦がれる気持ちには応えない、というか別物だろうと思ったのだ。

少年kazが音楽開眼、焦がれていたのは、亡くなった巨匠たちの演奏がほとんどだった。なので、「生で包まれてみたい」とは思わなかったが、現役の演奏家に焦がれたこともある。すごく少数になるが。

ジノ・フランチェスカッティの演奏は、本当に聴いてみたかったし、包まれてみたかった。あの博多のタカシ少年のような熱い想いがあった。でも彼は、とうとう一度も来日することなく演奏活動を引退してしまった。この時は本当に泣いた・・・悔しかったんじゃないけれど、泣いた。

もう一人はピエール・フルニエ。レコードでの音色に魅せられてしまった。その時もジノ・フランチェスカッティの時と同じように「包まれてみたい」という痛烈なまでの感覚を覚えた。残念なことに、フルニエは僕が焦がれる一年前に日本で演奏していた。「今度はいつ来日するのだろう?」当時はネットはなかったので、音楽雑誌の「今年の来日演奏家」のようなページを毎年熟読した。「ああ、今年も来ないのか・・・」フルニエは大変な親日家であるということも知っていたので、なかなか来日しないのが不思議だった。

kaz少年も中学生になった。フルニエが日本公演を行ったのだ。生で聴くフルニエのチェロの音色は、それこそ「神のようだ・・・」などと感じたものだ。実際に楽屋で会ったフルニエも神々しかった記憶がある。何年も焦がれていて良かった・・・

この「恋焦がれる」というもの、音楽愛好家としては、ごく自然なものだと思う。でも実際にピアノを弾く・・・という境遇になると、この熱い感情をキープするのが難しくなるのだろうか?そこが謎の部分だ。

これまでは「焦がれる能力」というものを意識することはなかった。でも最近は、この能力を開発していこう・・・などと考えている。

これが少年kazの恋焦がれたフルニエの演奏・・・



にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top