ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

なぜピアノ教師はピアノを弾かなくなるのか? 

 

ピアチェーレの演奏会、チケットは10月1日からホームページのメールフォームから・・・のように、これから告知していく機会も増えるだろうし、自分が演奏する曲については、ブログにも書いていくだろうとも思う。本番までの日々の心境などもね。本来、このブログはそのために開設したようなところがあるので、書いていくのは当然だとも思う。

昨年も一昨年もなのだが、困るのが中傷メールだ。気にしなければいいのだ・・・と言われるけれど、気になる。中傷メール、全部が(自称の方も含めだと思うが)ピアノ教師や現役音大生からだ。「フ・・・素人が!」とか「素人は気軽でいいわね。専門家は気軽に演奏しないのよ!」「演奏というものを甘く見ているのでは?私たちは厳しさを知っているからこそ演奏しないのよ!」みたいな?

当然傷つく。演奏前の中傷も傷つくけれど、本番後のそれも傷つく。本当に聴きにきたのだろうか?少々疑問に思ったりもする。「あの程度で演奏会だなんて・・・ブルグミュラーからやり直した方がいいのでは?」みたいな?

演奏会前後は非常にそのような意味で神経質になっているのだと思う。なので、批判されているわけでもないのに、僕の被害者意識(?)で中傷ではないメールまで斜めに解釈してしまうようなこともある。相手の方に恐縮させてしまい、こちらの方が恐縮している。

今年はそうならないように、何故ピアノ教師や音大生はアマチュアに厳しいのか・・・ということを前もって自分なりに考えておきたいなどと思う。アマチュアに厳しい人もいる・・・という表現のほうがいいかな?

中傷メールの人に対して「単純に羨ましいのでは?自分ができないことをやっているから・・・」と言う友人もいたが、それはあるだろうと思う。でも気軽に人前で演奏するものではない・・・という考えそのものは理解できる。気になるのは、ほとんどの中傷ズ(と呼ばせていただく)の方は音大というものを、ものすごく高尚なところと表現していることだ。専門に学ぶということの大変さを異常に強調する。学部にしろ、院にしろ、20そこそこで演奏を極めることなんかできないだろうと思う。「私は学生時代に演奏は極めたから、もう演奏はしない」と書いていた人もいるが、このあたりは、ほとんどのピアノ教師だって「そうではないよな」と思うのでは?

アマチュアで時間が自由に使える人というのは意外と少ないように思う。仕事をしているからね。時間はみつけるものだ。でもそこには相当の熱意がないと続かない。この音楽やピアノに対する熱意のようなものが、ピアノ教師から感じることが少ない。その判断材料としては、ピアノ教師ブログに自身の演奏、自身のピアノについて綴っている方が非常に少ない(ほとんど皆無)というところから判断している。ほぼセミナー巡礼やセミナー準備、あとは生徒のこと、Aちゃんがどうしたとか・・・あとは教材のこととか?なんとなく完全教育ピアノという趣なのだ。演奏とか音楽とか・・・そのような感じではなくなってくる。これに関しては、あるピアノ教師の方に貴重な意見を頂いたことがある。ピアノ教師が自分の練習や精進について正直に書いてしまうと、意地悪な音楽愛好家(僕みたいな?)たちから「なんだ・・・そんなこともできないのか?」などと中傷的な事を書かれたりするみたいだ。たしかに「私って天才!」などとは書けないよな。確かにそのあたりは難しいのだろうと察する。でも裏で何時間自分のピアノを追及していたとしても、やはり書いてくれなければ分からんよ・・・とも思う。

僕自身が、おそらくピアノ教師は教育家ではなく音楽家であるべきだと思っているところがあるのだろう。教師自らが音楽に恋焦がれ、どんなに辛くても追及せずにはいられないような・・・そんな教師像をどこかで理想としているのだろうと思う。生徒も音楽に焦がれ、教師も同じ方向を向いている姿。

でも教師がピアノ演奏から引退してしまったら「生徒が辞めてしまう」などと嘆くことはおかしいんじゃあないか?自分も弾いていないんだから。

もしかしたら、教師自身が「音楽ピアノ」というものに「学習ピアノ」「お稽古ピアノ」から転化できていないのでは?幼い頃から練習を重ね、お稽古に励む。むろん、そこにも感動というものはあっただろうが、基本的には課題をこなし、上達を目標とする「学習ピアノ」から卒業できていない。学習ピアノでも、どんどん進むことはできる。どこまでも・・・難関音大だってコンクール入賞だって「学習ピアノ」のままでの突破できるだろう。そこがピアノの恐ろしさ、難しさでもある。

各々のピアノ教師が自分の学生時代、音大時代を振り返ってみる。「練習しなかったわぁ・・・」とか、そのようなことではなく、音大時代のレッスンというものが、光り輝くような体験に満ちていただろうか?打ち震えるような音楽的体験であっただろうか?

もし、そうであるのならば、卒業後だってピアノを弾き続けるだろう。レッスンを受け、音楽家として人前で曲(教材じゃないよ)を暗譜で演奏し続けるだろう。上手い下手は関係ないのだ。根本にある情熱みたいなもの・・・

おそらく多くのピアノ教師が自分の修業時代を全肯定はできていないのかもしれない。「あんなに辛いことはもうイヤ」と思うのかもしれない。だったらピアノを弾くなんてシンドイだけだから演奏はしなくなってしまうのも当然だろう。でもこれだと意識は学習ピアノのままだ。教師が学習ピアノの意識でいれば、生徒もそうなるだろう。いずれピアノから離れる。そこには燃えるような音楽体験が乏しいから。「私・・・すごく下手・・・でもピアノは弾きたいの・・・どんなに時間をかけてでも・・・」のようなものは音楽ピアノに転化しなければ出ない欲求ではないだろうか?

基本的にピアノ教師の方たちは真面目なのだと推測している。演奏を引退してしまった・・・という怠慢(?)な自分は基本的にあってはならない。なので教育ピアノに燃える。セミナー、教材研究、導入グッズ開発・・・等々。こちら方面に突っ走る。それはそれで自分を熱心な教師と感じるだろうし、事実熱心な教師だ。大切なことだ。でも音楽家・・・の部分は???

ブログを開設して良かったことは、どこか斜めに見ていた「ピアノ教師像」というものが少しだけ変化したことだ。それは音楽、演奏、ピアノというものを、音楽的感動という基礎の部分を忘れていない、熱き教師たちと知り合えたことだ。メールだけでの人もいるし、実際にお会いしたり、演奏を聴かせて頂いた方もいる。ただ数が少ない。そのような方たちは少数派なのか・・・などとも思う。でもピアノを忘れたピアノ教師なんて、やはりおかしい。

今年は中傷ズのメールにも、あまり揺れないのではないかと思う。むろん、歓迎はしないが・・・

名ピアノ教師、ゲイリー・グラフマンの演奏。彼はピアニストだ。でも70年代後半に手の故障で、左手だけで演奏するしかなくなった。1980年からカーティス音楽院で教え始めたと記憶している。演奏活動というものから、教育、教師という部分に自分の生きがいを少し移動したということでもあろう。実際、彼は優秀な生徒を育てている。現代の名教師として真っ先に浮かんでくるのがグラフマンではないだろうか?ラン・ランやユジャ・ワンの先生と表現した方が早いのかもしれない。これは1990年の演奏。手の故障から約10年が経過している。また名教師となってから10年が経過している。でも彼はどうしたって音楽家なのだ。音楽、ピアノというものは一度焦がれたら離れられないものなのだ。グラフマンのピアノは「音楽ピアノ」なのだ。どんなに名教師を謳われようが、「教育ピアノ」にはなれない人なのだ。演奏がそれを物語っている。

kaz



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category: ピアノ雑感

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コメント

 

音楽を楽しめていないから

アマチュアの方へのそういった中傷の中には、ご自身がご自身の価値観に絡め取られていて、そこからはみ出している人たちを羨んで、嫉妬している部分も含まれていると思います。

気にしなくていいです!!

大人になってピアノを続けているという立場は、それを仕事にしている身であっても自分の練習時間は十分に保てません。
先生方が人前で弾かないのは、指導の時間ばかりをとってしまって、自己研鑽の時間が減ってしまっているからなのかもしれませんね。

私がお手伝いしたコンサートで、大人のアマチュアの方が心からピアノを楽しんでいる良い演奏をされたのを聴かせていただきました。ああ、この気持ちを私も常に忘れちゃいけないなぁ、って思いました。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/09/24 18:59 | edit

なかつかさま

教えることに多忙で自分の研鑽の時間がない、これは事実でしょうが、その点は演奏しているアマチュアを同じなので、「ああ・・・そうなのね」とは思えないところもあります。ただ、アマチュアの場合、自分のプロフェッションがピアノということではないので、ピアノと仕事を切り離すことはピアノ教師よりも容易だと思います。どんなにピアノでクシャクシャになっても、仕事ではそのことを忘れ、凛としていられる・・・

ピアノ教師の場合、自分の演奏でクシャクシャになりながら、教師として生徒に接するときに別人のように凛としているのは、プロフェッションとしては「ピアノ」というところで共通しているので、難しいのではないかと。

生徒としての自分、教師としての自分の精神的両立が難しいのかな・・・などと思ったりもします。

kaz #- | URL | 2015/09/25 15:46 | edit

そうですね

kazさんのご指摘はかなり鋭くいいところを突いていらっしゃるな、と思います。

好きなことを仕事にすることは、ある意味逃げ場がなにもないな、と感じることはあります。
私は今、「教える立場」と、「演奏する立場」の両方の立ち位置を持って、時により重心を変えながらやっていますが、そうできているのは、あるとき思いっきり開き直ったからかもしれません。

私は先生なんだけど、演奏をする前に怖くなる、練習不足で悩む、うまくいかなくて落ち込むことはよくあります。
結構自虐ネタがうけます(汗)

1つの立ち位置しかなくて、生徒としての自分と教師としての自分を両立させることは困難ですね。私も結局、それはできなかったので、2本柱にしたんですから。


自分がステージに立つからこそ、伝えられることも多いんです。
まず、こどもたちが変わってきました。それから大人。
保護者の見る目も変わってきます。
「ステージに立っている先生は、いうことが違います!」
そんなふうに言っていただけているのも、満身創痍になりながらステージに立ち続けているからかもしれない。

両方やっている先生、少しずつですけど増えてきていますよ。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/09/26 15:27 | edit

なかつかさま

僕も演奏するピアノ教師が増えて欲しいと思います。演奏する、しない・・・ということではないのかもしれません。何かに憧れ、生徒と「同じ方向」で進んでいるという感じでしょうか、それがあるといいなと。

演奏を引退してしまった先生は、心の中で矛盾を感じないのでしょうか?「暗譜できるの?」・・・「先生はいつ暗譜で人前で弾いたの?」「しっかり練習しないと」・・・「先生は練習してるの?」・・・「してるわ。教材研究もしてるし、セミナーだってたくさん参加してるわ」これは違うのでは?

・・・などと心のどこかで感じたりしないのでしょうか?

舞台袖で生徒を送り出すとき、「自分は離れてしまったなぁ・・・この世界から」などと感じたりはしないのでしょうか?

感じるから教材に燃え、セミナーに燃えるのかな?

やはり、「教育」以外のピアノのことも綴って頂かないと、外部の人間はピアノ教師=弾けない・・・などと思ってしまうわけです。

kaz #- | URL | 2015/09/26 19:19 | edit

同意です

そう、私は、kazさんのおっしゃるような「心の中の矛盾」を感じるのが嫌だから、演奏を続けている、という部分は大いにあると思います。

やっぱり、自分が演奏を続けている先生って、違うんです。
それは、やはり演奏を続けている先生方とお話すると、皆さん同意されます。

でもね…。

「演奏をしない先生」を続けてきた結果、だんだん感覚が麻痺してしまうということはあるんです。私が一時期演奏しなかった理由は単純に「出産・育児で余裕がなかった」ということなんですが。できる方もいるけどできない人もいる。

あと、私はあんまり、周りの目とか気にしないんですが、「周りの先生もみんな講師演奏なんてやってないし…」と、「出る杭が打たれることを気にする」方もいるのかな。気にしなくてもいいのにね。

私、生徒の送り出しをするのが好きなんです。
「いってらっしゃい、大丈夫よ、私がついてる・・・」
そう言えるのは、私が
「演奏する指導者」
だからかも。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/09/28 15:42 | edit

ピアノ講師です。いつも興味深く読ませていただいてます。

演奏から離れてしまう先生、とても多いと思います。セミナーや、手作りの教材作成も大事ですが、その合間に自分の練習はしていないのかな?と疑問に思います。発表会の講師演奏なども、最近はしない先生も増えてますよね。会の準備や生徒のケアなど、とても自分の演奏どころではないのも十分分かりますが、それでも、演奏している姿を生徒さんや親御さんに見せるべきだと思います。

ですが、私も含め、私の周りには指導と演奏活動をしっかり両立させている先生もたくさんいらっしゃいます。そのような方のブログもいくつか見たこともあります。

演奏しない先生の擁護をするわけではありませんが、私なりに考えてみたところ、演奏しない先生にもいろんなタイプがいると思います。
例えば、あまりいい教育を受けてこなかった方。昔ながらのガミガミレッスンをずっと受けてきたせいで音を出すことに萎縮してしまった方もいると思います。昔の先生は本当に怖かったようですし。

他に、単に練習を怠けている先生。日々の忙しさや生徒のレッスンを理由に弾くことから遠ざかっている先生も残念ながらたくさんいらっしゃいます。そのような先生方と比べると、音楽に対する情熱や弾きたいという意欲はアマチュアの方たちの方が高いでしょうね。

他に、常に自己研鑽を重ね演奏力も高いけれど、わざわざ人前では弾かない先生。このような先生もたくさんいらっしゃいます。そのような方はきっととても謙虚で、自分に厳しく、理想も高いのだと思います。

どれも私の勝手な憶測にすぎませんが、とても勉強熱心な先生方や、指導と演奏を両立させている先生もたくさんいらっしゃいます。
ただ、セミナーばかり出かけていたり、そのあとのお茶やお食事の様子のブログ記事を見かけるたび、学びの場がなんだか女子会のように感じることもあります…。

長々と買いてしまい申し訳ありません。これからもブログ楽しみにしています。

KM #- | URL | 2015/09/28 23:48 | edit

なかつかさま

いつかは生徒は練習する目的のようなものを先生に突き付けてくるのではないでしょうか?「なぜ練習しなければいけないの?」と。

教材が進んでいく達成感だけではピアノは弾き続けられないと思うので、その時に先生は示さなければならないと思います。

「練習・・・先生は弾いていないから・・・舞台で暗譜で弾くなんてしていないから」では生徒の眼差しに応えられないのではないかとも思うのですね。

「なぜなら・・・」という部分は先生が弾く姿、練習しているんだ・・・ということを先生が示すことで伝わるのかもしれません。

kaz #- | URL | 2015/09/29 08:53 | edit

KMさま

コメントありがとうございます。

ピアノ教師の演奏の場は少ないのでしょうね。それも演奏ができない(しない)理由なのかもしれませんが、演奏の場はアマチュアだって少ないわけです。なのでサークルのようなものが沢山あるわけです。発表会で弾くのは大変でしょうから、僕は別にそこで弾かなくてもいいと思います。でももう少し、自分が演奏しているということを、ブログでもアピールしなければならないと思います。「演奏している教師もいる」「そのようなブログも存在している」のは僕も知っていますが、外部にピアノ教育界、ピアノ教師そのものを発信しているのがピアノ教師ブログだとしたら、あまりにも教育ということが強調されすぎているとも思います。

教材研究、グッズ、セミナー

女子会というイメージはあります。おそらく、そのあたりに厳しい感覚を持つ一般の人は多いと僕は思います。気づいていないのは先生たちだけで・・・

kaz #- | URL | 2015/09/29 09:02 | edit

だからこそ

実は、私、自分の師匠のレッスンでは課題、全曲暗譜しています。

ちょっとしたところで弾くときに、しばらく弾いていなくてもまた少し練習して弾ける曲がなかなかできなかったのが、子供の頃の私の後悔でしたので、今それをやっています。

別の先生から移動してきた子で、暗譜の経験がない、という子がいて、その子の前では驚いて見せましたが、kazさんの話を思い出して(それも、ありえるかもな)と思ったのです。

「先生はぜ~んぶ暗譜よ」
というと、ちびっこたちは「え~せんせいすごい!!」と尊敬の眼差し(笑)
「今度は別のところで弾くよ」
「○○ホールのピアノおじいさんみたいな音だよ」
という話をすると、お母様方も興味を持って聞いてくださいます。

教えてるとすごく弾きたくなるんだけどな。
ならないのかな、教えるだけの先生は。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/09/30 01:04 | edit

なかつかさま

弾きたくならないんでしょうねぇ・・・

生徒と同じ立ち位置になるということが難しいのかもしれませんねぇ・・・

kaz #- | URL | 2015/09/30 18:59 | edit

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