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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

自己肯定少年登場 

 

慢心と自己肯定とは違うのだろうか?割と難しいところだ。

演奏会が終わり、楽屋を訪ねてきてくれた人に対して、「どう?私の演奏、素晴らしかったでしょ?」と言うのはどうかと思う。普通は言わないよね。でも、あまりに謙遜しすぎてしまうのもどうだろう?

「本当にゴメンなさ~い!酷い演奏をお聴かせして・・・」

有料の演奏会の場合、このような言葉を発してしまうのは、聴きに来てくれた人に失礼なのではないかな?演奏者自身が「失敗したぁ・・・」と感じても、やはりお客さんにそれを伝えてしまうのは、マズイような気がする。発表会などの無料の演奏の場では許されるか?それは聴き手がその時の演奏者でもある場合は許されるのではないかな?でも無料だろうが、わざわざ聴きに来てくれた・・・という人には、やはり「大失敗しちゃったぁ・・・」などと言ってしまうのは、やはりどうかと思う。サークルの練習会のような場ではいいと思う。聴く人=弾く人のような特別な場だと思うし、お互いに傷を労わりあうのも良かろうと・・・

「あ~ん、失敗しちゃったぁ・・・」「そんなことないよぉ・・・音楽、流れていたし、気にならなかったよ?」「そう?」・・・これは美しいとさえ思う。いいんじゃないかな?相手が「失敗しちゃったぁ・・・」「全然弾けなかったぁ・・・」などと嘆いているのに、きっぱりと「そうですね!」などと言うのもね。まぁ、そんなこと言う人もいないだろうが・・・

留学記などでよく目にする文章。日本人留学生は基本的に謙遜するのだそうだ。試験や公開演奏、またはレッスンなどにおいてもだけれど、留学生は演奏後、先生から訊かれる、どうでしたか・・・と。多くの人は「よく弾けませんでした。もっと練習しないと・・・」などと答える。日本の音大だと、割と普通の光景なのかもしれないが、外国の先生は、とてもがっかりしてしまうらしい。「えっ、あんなに熱心に教えたのに?そして指導に応えてくれていたと思っていたのに」と。ありそうな話ではある。

僕にも同じような経験はある。ピアノを再開して初めての人前演奏。まだサークルには所属していなかったので、ピティナのステップに出たのだ。その時は、正直あまり良く弾けたとは思えなかった。僕自身、練習やレッスンの時のようには弾けなかったとは思った。

「どうでした?」と先生。

「なんだかあまりよく弾けなくて・・・やはり最初だから緊張していたのもあるし・・・」と僕。

「えっ?よく弾けていましたよ?何が起こったんですか?緊張しても、あまり良く弾けないという演奏になるとは僕には思えませんが・・・何かあったんですか?」と先生は大真面目に僕の言葉に反応したのだ。正直、びっくりした。僕は軽い気持ちで、普通はそう答えるのだろうな・・・という気持ちで「あまりよく弾けなくて・・・」と答えたのだ。

その後、先生のリサイタルがあり、自分のリサイタルのことを先生が自身のホームページに書いた。

「練習も含めて、楽しかったぁ・・・」と。これにも正直びっくりした。今は慣れたけど。

自分の演奏に対して「まだまだ未熟で、とんでもございません」的なことを人に言う心理として、本当にそのように思うということもあろうが、そこには自分をよく見せたい・・・という心理が自分の中にないだろうか?謙遜して「まだまだなんです」とか「全然弾けなかったんです」と言っているようなんだけれど、そこには「本当はこんな演奏をする私ではないんだけど・・・」みたいな言い訳のような、自分をプロテクトするような心理がそこには働いている・・・「もうちょっとは本来なら弾けるんだけど・・・」みたいな?

そんなに人を気にするぐらいだったら、自己肯定してしまったほうが自分にも正直だし、気持ちいいのではないだろうか?

自己肯定のできる人は、自分の能力を客観的に判断できる人・・・という感じがする。

この15歳のアメリカの少年・・・

自己肯定してるよね?僕は好きだな・・・こういう人。

kaz



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category: あっぱれ麗し舞台

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