ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

鼻血の曲 

 

ターミナルイルネスは別として、できるだけ元気に暮らし、誰にも迷惑をかけずに苦しまずにポックリと死にたい・・・つまり突然死のような死に方を望む人は意外と多い。たとえば、癌のような病になって、死というものを自覚しながら、感じながら生きていくというのは辛いだろうと思うらしい。

たしかに突然死の場合、死ぬ直前までは普通に暮らしていけるわけだし、なんだかんだと自分の死について思うこともないだろうから、そのような意味では気楽な面もあるのかもしれない。でも死への準備というものができないという側面もある。

癌と診断されたからと言って、すぐに死んでしまうわけではない。ある程度の期間は、生きることが許される。その期間が定かではないというところが実に残酷なことなのかもしれない。その期間は半年かもしれないし、30年かもしれない。でも死について、そして残された自分の人生について考える時間は少なくとも与えられる。これは重要なことのように思える。

「本当は自分は何をしたかったのか?」「沢山の友達に囲まれているようだけれど、実は彼らは単なる知り合いだったのでは?本当の友達は厳しい忠告をしてくれる、あの人だけだったのかもしれない・・・」などと、本質を見極めることの大切さを知る期間が癌などの病気を患うと与えられるのだ。

でも、若年性の認知症と診断されたら?この場合は辛いだろうと思う。残された人生そのものを恨むかもしれない。少し前に「アリスのままで」という映画を観た。アリスは若年性の認知症を患うのだ。彼女はこう言う。「癌だったらよかったのに・・・」これは非常に重い言葉だ。アリスは夫に囁く。「もしかしたら私が私でいられる最後の夏かもしれない・・・」夫は泣きながら言うのだ。「そんなこと言うな・・・」と。

それでも突然死というものは辛いな・・・と僕は感じる。準備ができないもん。絶対に後悔しないと言い切れる人生を常日頃から歩んでいると自覚している人はいいけれど、多くの人はそうではないと思うし、何かしらの「やり残し」が残るのではないだろうか?

エットレ・バスティアニーニは癌というものにより、後半の人生においての選択をしてきた人のように思う。彼の生涯は悲劇性ばかりが強調されるが、僕はそのようには感じない。

レナード・ウォーレンというバリトン歌手がいた。バスティアニーニとは活動期間も重なるし、同じバリトン歌手だから、当然レパートリーも重なる。お互いに意識はしていただろうし、そしてお互いに歌手として敬意を感じていたように思う。この二人の場合、たとえば「カラス対テバルディ」のような騒ぎにはならなかった。バスティアニーニはスカラ座の看板スターだったし、ウォーレンはメトの看板スターだった。なので騒ぎにはならなかったのかな・・・などと思う。同じ歌劇場を本拠地としていたら、分からなかっただろうとも思う。

多くのオペラ歌手と同様、ウォーレンも恵まれた音楽一家に生まれたわけではなかった。ロシア系ユダヤ人一家の子どもとして誕生した。一家は毛皮業を営んでいたので、ウォーレンも家業を継いだ。これまた多くのオペラ歌手と同様、周囲が彼の声に驚嘆し、才能を指摘していくのだ。合唱団で歌ったりしていたが、メトのオーディションに受かるのだ。ウォーレンは本格的な声楽の指導を受けてはいない。音楽の専門教育を受けていないのだ。つまり経歴的には素人さん・・・だったのだ。メトは彼のために資金を出し、ウォーレンは給費でイタリアで本格的に声楽を学ぶのだ。ここで思う。メトロポリタン歌劇場には偏見や特権意識というものはなかったのだろうな・・・と。メトはレナード・ウォーレンという才能に賭けたのだ。出身校などに拘る国だったらウォーレンという歌手は誕生していなかったかもしれない。

帰国後はメトの看板スターとして活躍していくことになる。なんとも素晴らしい歌唱であり、素晴らしい声だと思う。

レナード・ウォーレンという歌手は死に方もバスティアニーニとは対照的だ。ウォーレンは突然死だった。たしか脳出血が死因だったと記憶している。彼はメトの舞台で亡くなった。本当に舞台の上で、それもアリアを歌っている最中に亡くなったのだ。まだ48歳、まさに歌手としては絶頂期であったわけだ。歌い盛り・・・

個人的にはバスティアニーニの発症後の歌声を聴くよりも、ウォーレンの歌声を聴く方が辛かったりする。その声には死の影などというものは微塵も感じられない。そこが辛いのだ。

レナード・ウォーレンの歌う歌劇「アンドレア・シェニエ」のアリア、「祖国を裏切る者」

「アンドレア・シェニエ」は典型的なヴェリズモ・オペラだ。なので、そこにはお姫様も王子様も妖精も登場しない。フランス革命期を舞台にした、重厚かつヘビー(同じ意味か?)なオペラだ。初めてこのオペラを聴いた(観たではない)時には、「なんだかベルサイユのバラみたいなオペラだな」と思ったものだ。池田理代子の有名な少女マンガだ。それも前半のベルサイユ宮殿を背景とした、オスカル♥アンドレ♥・・・という部分ではなく、後半のルイ王朝の崩壊、ギロチン・・・といった部分と重なったのだ。

普通、オペラというものは、ソプラノ、テノールに最も華やかで、光の当たるアリアが書かれるのが普通だ。主役は、やはりソプラノ、テノールとなることが多いので当然そうなる。「アンドレア・シェニエ」の場合もそうではあるのだが、主役のシェニエやマッダレーナのアリアよりも、バリトンのジェラールというキャラクターのアリアに最も光が当たっているように個人的には思う。このバリトンのアリア、「祖国を裏切る者」は多くのバリトン歌手にとって憧れなのではないだろうかと思う。

特にアリア後半のメジャーになってからの部分が好きだ。後半2分の部分・・・

ジェラールは革命の申し子。でもそれだけではない複雑なキャラクターだ。後半部分の歌詞もジェラールそのものだ。これはバリトンだからこそ表現できる世界なのではあるまいか?

♪ 正義の心は人々を目覚まし、勝利と苦しみの涙を集め、そして世界に楽園を創りあげるのだ。人々は崇高な神のように口づけと抱擁の輪に愛する人々のすべてを包み込むのだ!!!

この歌詞、このメロディー、そしてウォーレンの声・・・鼻血が出るねぇ・・・

kaz



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category: The Singers

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