ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

最後の歌 

 

シエナにあるエットレ・バスティアニーニの墓参りはこれで三度目になる。8歳の時に彼の歌声を初めて聴いた時には、非常に驚いたものだ。声の威力というか魅力に。当たり前の事だが、当時の僕にはバスティアニーニという歌手は、とても成熟した男性だと感じた。まぁ。8歳だったわけだから・・・

冷静に考えてみれば、今の僕はバスティアニーニよりも長生きしているわけだ。彼は44歳で亡くなっているので、年齢的なことだけを言えば、バスティアニーニは弟みたいなものだ。それでも僕からしたら、大人・・・という感じではある。対照的に、彼の人生を総括的に考えられる年齢に自分は到達したとも言える。初めてバスティアニーニの伝記を読んだ時には、「この人は薄幸な人だったんだなぁ・・・」という印象を持った。そして人生の分岐点においてのエットレの選択がどこか不可解というか、理解できないところもあった。

でも50歳にもなると、「もしかしたら・・・こういうことだったなかなぁ?」などと思うところはある。

エットレは父親を知らない私生児だったので、少年時代はかなり血気盛んな子どもだったみたいだ。強くならなければ生きてはいけない環境だったのかもしれないね。エットレには息子がいた。非常に若い時にできた子どもだ。イアーゴ・バスティアニーニという。イアーゴは常に問題を起こし、エットレを悩ませる存在であったらしい。何か問題があると、公演先からシエナに駆けつける・・・などということもあったみたいだ。イアーゴは寂しかったのではないかな?父親はオペラ界のスターだったから、常に不在。イアーゴなりに父親の愛情に飢えていたのかもしれない。基本的には親子関係は良好ではなかったみたいだ。少なくとも伝記ではそうなっている。

イアーゴにとっては、父親は自分ではなく、歌を選択したのだ・・・という想いがあったのかもしれない。イアーゴは非常に若くして亡くなっている。親よりも早く死ぬのは親不孝だ。たしか、トラックの下敷きになったと記憶している。でもイアーゴは自分の息子、つまりエットレにとっては孫になるが、息子の名前をこう名付けている。エットレ・バスティアニーニ・・・と。やはりイアーゴは父親を尊敬し愛していたのではないかな?この孫エットレ・バスティアニーニは現在もシエナでご存命だ。

イアーゴになくエットレにあったもの、それは「賭けるもの」ではなかったか?エットレには歌があった。パン工房で働きながら、声を周囲に認められて、「エットレ・・・お前声楽のレッスンを本格的に受けてみないか?」「俺・・・歌が好きだ・・・やってみる」この瞬間にエットレは何かから這い上がったのではなかろうか?

エットレにも幸せになれるかもしれなかった瞬間がある。それは恋人だ。エットレからすれば、まだ少女のような年齢の女性だったらしい。バレリーナだった。初めはこの女性の両親は二人がつきあうことに猛反対だったらしい。年齢差、すでにエットレには子どもがいるという問題もあったのかもしれないが、なにしろエットレはスカラ座のスター。常に女性に囲まれたスターであり、遊び人であるに違いない。娘に対してもそうであるに違いないという思い込みが女性の両親にはあったのかもしれない。

この女性とつきあった僅かな日々はエットレにとって、最も幸せな日々だったのではなかろうか・・・

しかし、エットレはこの女性との婚約を一方的に破棄するのだ。それは癌という病が関係していたのではないかと思う。癌・・・それも歌手にとっては致命的であるとも思える咽頭癌。もしかしたら、癌も二人で乗り越えられたのかもしれない。エットレは孤独の中で死ぬこともなかったのかもしれない。でも何よりも、エットレは歌手だったのだ。最後には歌を選んだ・・・

おそらく、エットレは癌を発症した時に、「自分が歌えなくなった時」「声を失った人生」ということを考えたに違いない。それは想像を絶する壮絶なものになるだろう。この女性を巻き込めない・・・という想いがエットレにはあったのだと思う。これは僕も年齢を重ね、なんとなく理解できるようになった感覚でもある。

癌であることをエットレは最後まで隠し通した。知っていたのはエットレと医師だけだ。自分の喉、声帯を守るため、彼は放射線の治療だけを選択した。自分の命よりも声を優先したのだ。彼は自分の癌が転移し全身に広がることは予想していた・・・そして事実そうなった。

癌の発症は1962年だとされている。その頃から彼の声の威力は失われていったのだろうと思われる。当時の放射線治療では喉の粘膜が失われてしまったとされる。もちろん、声、発声に直接影響したであろう。

エットレは1965年、東京で単独公演を行っている。むろん、東京文化会館の聴衆はエットレが癌であることを知らない。スイスで治療を行った直後であることも知らない。

1965年、東京公演の後、エットレはメトロポリタン歌劇場などで歌い、その後の公演記録は空白になる。この東京での歌声は最後のエットレの声・・・でもあるのだ。歌うことによって痛みを感じ、舞台に立つというだけでも困難であった時期でもある。

冷静に聴けば、全盛期の声ではない。エットレファンにとっては、少々聴くのが辛い歌唱ではある。正直、「エットレの歌はこんなものではない」という想いがある。同時に「これはエットレ・バスティアニーニそのものだ」とも感じる。この東京公演の一年半後、エットレ・バスティアニーニは44年の生涯を閉じることになる。

壮絶で崇高なる歌人生・・・という感じではあるが、エットレは人間だった。たしかに存在した人間。愛犬のザーボが死んだときには、人前で、楽屋で泣き続けた・・・そういう人間だったのだ。

シエナの墓石にはこのような墓碑銘が書かれている。

「エットレ・バスティアニーニ   栄光を得、哀しみを知り、愛されることを知り、君は一つ以上の生を生きた」



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