ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

勤勉であり品行方正であり・・・ 

 

パウロに限らず、外国人と音楽について会話をしていると、彼らは僕がある演奏家について当然知っているだろうということを前提として話しているようなことがある。その演奏家を知らないと僕が言うと、決まった反応がある。「ああ、そうか・・・君は日本人だったね?」みたいな・・・

日本人である僕としては、彼らのこの反応は面白くはない。通常は個人と個人との会話というのが基本で、そのぶんには違和感は感じないのだが、ちょっとした時に、個人の枠を超えて、○○人だったね・・・みたいなカテゴライズになってしまう。でも考えてみれば、これは僕も彼らに対して持っている感覚だ。イタリア人とか、ブラジル人という国籍、正確にはそこから受ける勝手なイメージを無意識に彼らに対して抱いていたりもする。

パウロが僕が知っているという前提で話題にした演奏家、ヴァイオリニストのアラ・マリキアンという人だ。知ってます?僕は知らなかった。後でイタリア人の友人にメールで訊いてみたら、彼もマリキアンのことを知っていた。「ヨーロッパでは凄い人気だよ」と。

「ああ、そうか、君は日本人だったね・・・」というパウロの反応は日本が極東の地だから知らないのだろうというよりは、マリキアンのような演奏家は、君たち日本人には許しがたいものがあるに違いない、そのような感じを僕は受けた。言葉を変えると、僕たちが抱いている日本人というイメージとマリキアンのような演奏家は重なるところがない・・・という感じ?

パウロが抱いている日本人のイメージ、「勤勉」「品行方正」「伝統を重んじる」「喜怒哀楽を出さない」「本心を出さないサムライ」「冒険心よりは安定志向」というもの。当たっている部分もあるかな・・・というのが僕の感想だ。

もしかしたら僕は典型的な日本人なのではないのかもしれないし、もっと簡単に表現すれば、少し(凄く?)変わった人なのかもしれないが、個人的にはアラ・マリキアン・・・大好きだと思った。でもどうだろう?一般的な日本人には彼のようなパフォーマンスは受けるのだろうか?日本人はマリキアンを受け入れるのだろうか?そこはちょっと自信はない。

アラ・マリキアンはアルメニア系のレバノン人みたいだ。中央ヨーロッパ出身ではないが、修業はドイツとイギリスで行っているし、彼の師たちも「へぇ・・・そうなんだ」という人たちばかりだ。普通にコンクールにも優勝していて、最初は彼も燕尾服を着てコンチェルトなどを弾く普通の(???)演奏家だった。日本にも来日しているみたいだ。普通の演奏家として・・・

いつからマリキアンが現在のような「弾けたヴァイオリニスト」に変身したのかは定かではないが、彼自身、普通の演奏家として活動していた時に、ふと感じた疑問、不満があったみたいだ。「聴衆から暖かい拍手をもらう。もちろん素晴らしい瞬間だ。でも、僕は聴衆ともっと一体になりたかった。演奏が終わった瞬間、お辞儀をしている瞬間だけでなくね。試行錯誤して、現在のような形でパフォーマンスをするようになった。かつて感じていた聴衆との溝みたいなものが埋まった気もする。何より自分が楽しいのさ・・・」

マリキアンはスペイン在住で、スペインを拠点に活躍しているみたいだ。ラテンの血が騒ぐのだろうか、やはりラテン系の国での人気が高いらしい。

さて、マリキアン、日本では受けるだろうか?日本の楽壇は彼を受け入れるだろうか?

kaz



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