ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

「人生よ ありがとう」 

 

かつて中南米諸国は軍事独裁政権の国が多かった。そのような社会の中で、底辺の民衆から湧き起ってきた運動がある。それが「ヌエバ・カンシオン(新しい歌)運動」というもの。

ビオレータ・パラ・・・民衆の心に根ざした歌を作り、歌った。そして自ら命を絶ってしまった。このビオレータ・パラの精神、魂を受け継いだミュージシャンも多く生まれるようになった。「歌で世界は変えられる」・・・ビクトル・ハラのようなヌエバ・カンシオンの担い手がチリのアジェンテ政権を生んだのだ。

しかしながら、民衆によって大統領に選ばれたアジェンテを倒したいと思っていた国がある。チリが独自の道を歩み始めてしまっては困る国があった。チリの富を吸い続けることができなくなると・・・

アメリカ、ニクソン政権はCIAを通して、反アジェンテの勢力を煽動し、クーデターを起こさせた。官邸は襲撃されアジェンテ大統領は殺害され、民衆のためのチリは消滅した。クーデター後、多数のアジェンテ支持者が連行、殺害されたという。

ビクトル・ハラも連行された。捉われた人々を勇気づけようと彼は歌を歌い続けた。軍の命令を無視し続けて・・・

彼はギターを弾けないように両手を砕かれ、そして銃殺された・・・

ビクトル・ハラも、そしてアジェンテ大統領もビオレータ・パラの「人生よ ありがとう」という歌が好きだった。彼らだけではない。弾圧された人々が、この歌を歌い続けた。

「人生よ ありがとう」はアジェンテ政権を連想させるものとして、歌うことが禁じられた。それでも人々は歌い続けた。収容所で、牢屋の中で。そして軍事政権に反対する集会の中で。大きな怒涛のようなうねりとなって歌声が中南米全域に広まっていった。

チリの独裁軍事政権は17年も続いた。その間、行方不明になり、いまだに身元の分からない人の数は1000人以上いるという。

多くの民衆が催眠ガスを浴びせられ、護送車に動物のように放り込まれる。収容所で拷問を受けた人も多い。電流を身体に流されたりとか。それでも人々は言う・・・

「いつでも希望を持っていた。音楽はそれを助けてくれた」「過去は消すことができない。それでも歌うことによって人生を歩むことができた。生きているのだもの。人生よ・・・ありがとう」

それにしても、なぜこの歌だったのか?「人生よ ありがとう」だったのか?




「人生よ ありがとう」  作詞・作曲:ビオレータ・パラ

人生よありがとう こんなにたくさん私にくれて
私にくれた、二つの明星
それを開くと、はっきりと分かる
黒いものと白いものを
高い空から星々の底を
人混みの中から愛する人を

人生よありがとう こんなにたくさん私にくれて
笑いをくれた 涙をくれた
そして私は見分ける 幸せと苦しみ
私の歌を作る二つのものを
あなたたちの歌 それこそが私自身の歌
すべての人の歌 それが私自身の歌

人生よありがとう
こんなに私にくれて・・・




にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: Saudade

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top