ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

無条件の愛 

 

広島の日なので、少し戦争に関係する話題を・・・

生死学の授業で、元アメリカ兵の方を招いて話を聞いたり、話し合ったりしたことがあった。ベトナム戦争に兵士として参戦した人だ。授業のテーマは「人生におけるやり残し」というものだったと記憶している。人間として成し遂げていないことがその人にある場合、あるいは自分の想いを愛する人に伝えていないとか、そのようなことも含め、やり残しがあると、納得して人生を終えられないということについて学ぶ講義だった。一般の人を招いて実際に話を聞くというのが、その授業の特色だった。

授業で話された人に限らず、ベトナム兵を殺した多くのアメリカ兵は、遺族に謝罪してから死にたいという想いを持つらしい。まさに「やり残し」を感じるわけだ。敵、この場合はベトナム兵となるが、彼らは家族の写真を身につけている場合が多い。むろん、自分たちアメリカ兵も同様だ。相手を殺した場合、身につけていた写真を持ち帰ることもあったらしい。意図があったわけでもないし、そのようなことをする状況ではなかったことも多いのだが、家族の写真などが見つかった場合、持ち帰る。これは人間の本能みたいなもの・・・そのように授業で話した元アメリカ兵は説明していたように記憶している。

歳月が流れ、記憶も薄れた頃、自分の人生を振り返った時、思うのだ。謝罪しなければ、この写真は自分が持っているべきものではない。遺族が持っているべきものだ。返さなくては・・・ベトナムに会いに行きたい、いや、行かなければ・・・

この時、学生から質問があった。

「あなたはそれで満足できるかもしれないけれど、遺族は肉親を殺したあなたを許すでしょうか?」

元アメリカ兵は、しばらく目を閉じて考えこんでいるようだった。

「そうですね。たしかに謝罪したいというのは私の自己満足ですね。もし私が父親を殺されたら、相手を許すことができるか・・・そのことを今考えていました」

そしてベトナムで遺族に会った時のことを話してくれた。

「拒否されるか、叩かれるか、罵倒されるか、すべて覚悟しました。自分はそれだけのことをしたのですから。でも会いに行った私のことを遺族は抱きしめてくれました。そしてお礼さえ言ってくれました。もちろん、私は思いました。どうして許してくれるんだろう・・・と。不思議さと共に相手から伝わってくる受容というのか、そのような衝動のエネルギー、それはとても強いものでしたが、そのようなものを私は感じました」

「私は、殺してしまった兵士のことを忘れたことはありません。いつも頭の中に存在していました。そのことが私を苦しめていました」

遺族、この場合は殺したベトナム兵の娘だが、彼女はこう言ったのだそうだ。

「私も苦しんでいました。顔もしらない、あなたのことをずっと憎み続けて生きてきました。会ったら殺してやろうとさえ思っていました。その憎しみの感情がずっと私を苦しめていました。でも実際にお会いして、あなたが父のように思えました。自分でも不思議です。心の中に抱えてきた憎しみの感情が何かに変わりました。上手く説明できませんが・・・」

元ベトナム兵はこう締めくくった。

「ベトナムで遺族に会ったことで、私のやり残しは消えました。そして遺族から教えられたことがあります。それは彼女が私に示してくれたものです。それは無条件の愛というものです。彼女は私を憎むのではなく、許すことで愛というものを私に示してくれたのです。人間がそのような感情を持つことは可能なのだとね。これからの私の課題、そして新たなやり残しは、彼女のような無条件の愛を知り、人に示すこと・・・そのように思っています」

動画は日本のテレビ番組のもの。ほぼ同じケースだ。むろん、動画のアメリカ兵と授業で話してくれた人とは別人だが、内容は同じだ。このようなことは結構あったのかもしれない・・・

相手・・・を憎むんじゃない。相手にそうさせたものを憎む。そして受容・・・さらに無条件の愛を示す・・・

難しいねぇ・・・

でも幸福を追うのだったら、ここを追いたい。

kaz



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